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日米で異なる「子育て事情」日本の育児書はソ連の影響下にあった!

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2021.03.05 16:00 最終更新日:2021.03.05 16:00

日米で異なる「子育て事情」日本の育児書はソ連の影響下にあった!

 

 初めて子どもが生まれたとき、誰もが子どもの育て方がわからないという経験をします。周囲に子育てをすでに経験している人間がいれば、問題が起こったとき、その人に聞けるわけですが、現代の、とくに都会ということになると、なかなかそうした人が見つかりません。

 

 今だと、ネットにはさまざまな情報があふれています。もちろん、そのなかにはあてになる情報もあれば、あてにならないものもあり、どれを信頼してよいのか判断が難しいということはあります。けれども、格段に情報量が増えていることは間違いありません。

 

 

 では、情報化社会が訪れる前、まだインターネットが使えない時代には、親になりたての人たちはどうしたのでしょうか。昔は、「育児書」を頼りにする人たちが少なくなかったのです。

 

 現在でも、育児書はさまざまに刊行されていますが、一昔前は、松田道雄『育児の百科』(岩波書店)と、『スポック博士の育児書』(暮しの手帖社)の2つが育児書の定番とされていました。

 

 2つの育児書の著者は、ともに小児科の医師である点で共通しています。赤ん坊は、いろいろな病気にかかるわけですから、病気に対していかに対処していくのかということが育児において重要になってきます。そこに、小児科医が育児書を執筆する必然性があります。

 

 ただしそこには、日本とアメリカの文化の違いということがかかわってきます。

 

 たとえば、スポック博士は、赤ん坊に抱き癖をつけてしまうことに否定的です。「わがままで依頼心が強いと、大きくなって世の中に出たときに、結局こどもが苦労するだけです」というわけです。

 

 それに対して、松田道雄は、抱き癖について、ただ「つけないにこしたことはない」と述べているだけです。あまり気にしていません。

 

 松田の方が全体に鷹揚な感じですが、スポック博士には厳しいところがあります。それが一番よく表れていたのが、赤ん坊を寝かせる場所です。私はこの部分が強く印象に残りました。

 

 スポック博士は、「6カ月をすぎるまで、両親と同じ部屋にねかせているのは、望ましいことではありません。そのころになると、同じ部屋に寝るのになれてしまって、1人でねるのをいやがったり、こわがるようになったりします。大きくなればなるほど、離すのがむつかしくなるのです」と警告しています。

 

 なぜ、赤ん坊の段階から1人で寝かせるのでしょうか。それは、子どもを自立させるためです。甘やかさないで、自立させる。スポック博士は、そこに育児の力点をおいていました。

 

 では、日本だとどうなのでしょうか。

 

 日本には、「川の字の文化」があります。これは、赤ん坊をはさんで夫婦が寝る形のことを言います。赤ん坊が成長して、次の子どもが生まれると、今度は、2人の子どもをはさんで夫婦が寝る。そういう形に発展していくこともあります。

 

 この違いにふれたとき、私も川の字の文化のなかで育っていますから、日本人がスポック博士の主張するやり方を受け入れるのは、なかなか難しいのではないかと感じました。

 

 実際、アメリカの社会では、子どもが生まれると、子ども部屋を用意し、子どもは最初からそこで1人で寝かせるということが当たり前に行われています。たとえ赤ん坊が夜泣きをしたとしても、声をかけたりはするようですが、抱いてあやしたりはしません。そうすると、赤ん坊も慣れて、夜泣きをしなくなると言います。

 

 だったら、泣いている赤ん坊を抱いて、必死に泣きやませようとする日本のやり方は、合理的ではないということにもなります。

 

 しかし、それによって、親と子の関係はより緊密なものになっていきます。親は、そうした体験を通して、自分がいなければ子どもは育たない、どうなってしまうかわからない。そんな感覚を抱くようになるのではないでしょうか。そこに、日本に独特な親子関係が形成される基盤があるように思われます。

 

 実は、松田道雄の育児論には、東の陣営を率いてきたソ連のイデオロギーの影響がありました。『育児の百科』を開いてみると、グラビアのページで集団保育の場面が大きく取り上げられていることが目につきます。

 

 もちろん、夫婦共働きとなれば、保育園に預ける必要が出てきます。そうせざるを得ないとも言えます。

 

 ところが松田は、集団保育の利点を強調していて、家庭で育てるよりもむしろ好ましいとさえ主張していました。集団保育で育った子どもは、自立し、協力ができ、発育も運動機能の発達もいいというのです。

 

 松田が集団保育に注目するようになったのは、1957年にソ連に招かれ、現地の保育園を訪れたり、第7回全ソ小児科学会に参加した経験をしていたからです。

 

 松田は、すでに高校生の時代からマルクス主義に接近し、それは彼の思想形成に多大な影響を与えました。松田は、ソ連を訪問することで、「健康な子どもの集団成長に直接小児科医が参加して、大量の比較観察をしなければならないことを、ソ連の医者たちは私におしえた」と述べています。

 

 スポック博士の育児書が、西側の世界を率いてきたアメリカの価値観、育児に対するとらえ方を代表するものであるとしたら、松田の育児書は東側の価値観を代表するものでした。

 

 松田は、『育児の百科』を執筆するにあたって、日本の伝統的な育児の方法についても調べたようですが、ソ連で実現されたマルクス主義にもとづく集団主義のイデオロギーを通して、それを再生させようと試みたのです。集団主義と個人主義、東西の対立が、育児にも強い影響を与えていたのです。

 

 

 以上、島田裕巳氏の新刊『いつまでも親がいる 超長寿時代の新・親子論』(光文社新書)をもとに再構成しました。「人生100年時代」を迎えた今、親子関係の新たな課題とは。著者初の親子論です。

 

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