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【4月18日の話】山本五十六、撃墜される…ジャングルに消えた機体には鮮やかな日の丸が
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2021.04.18 06:00 最終更新日:2021.04.19 00:46
1943年4月18日、連合艦隊司令長官の山本五十六が搭乗した戦闘機が、パプアニューギニアのブーゲンビル島で撃墜された。葬儀は国葬として執りおこなわれ、山本には軍人の最高級の称号である「元帥」が与えられた。
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1884年に長岡で誕生した山本は、中学校を出たのち、海軍兵学校に進学。卒業からほどなくして日露戦争が始まり、1905年には装甲巡洋艦「日進」に配属された。東郷平八郎が指揮を執った日本海海戦にも参加したが、敵の砲弾によって2本の指を失い、生死の境をさまようほどの大ケガを負っている。
回復後に海軍大学校を卒業し、ハーバード大学へ留学。その経験を活かし、アメリカの日本大使館付き武官も経験した。1929年のロンドン軍縮会議に出席したことをきっかけに出世し、海軍航空の発展に尽力した。
故郷・長岡にある山本五十六記念館を運営する「山本元帥景仰会」の担当者は、山本五十六の果たした功績についてこう語る。
「山本五十六は、駐米経験から、石油や航空に早くから注目していました。特に航空の重要性を強く説き、その先見性から、1941年には航空戦隊を引き連れて真珠湾攻撃を成功させます。
しかし、あくまで開戦には反対でした。日独伊三国同盟に断固反対した姿勢は、人々を愛し、郷土を愛し、慈愛の心を強く保っていたからでしょう」
1943年、山本は戦線視察に赴く。しかし、その動向はアメリカ軍の暗号解読によって筒抜けだった。山本の乗った戦闘機はブーゲンビル島上空で攻撃に遭い、あえなくジャングルへ墜落した。
山本五十六記念館には、ブーゲンビル島のジャングルから持ち帰った、山本搭乗機の左翼が展示されている。景仰会から、調査団が向かったのだ。
「長官搭乗機の翼を長岡へ帰還させるプロジェクトは、1984年の山本五十六生誕100年記念事業として、当会が調査団を派遣したことから始まりました。墜落現場は、ブーゲンビル島にあるココポ村の付近です。
村から墜落現場までは、現地住民の案内のもと進みましたが、険しい道のりでした。ジャングルの巨大な風倒木を乗り越え、山刀で木々を切り払いながら進み、1時間半ほど歩いたところで、墜落現場に到着しました。
山本長官搭乗機は、ジャングルの巨木に激突し、むしり取られた傷跡が生々しいものでした。しかし、日の丸がくっきり鮮やかなまま残っており、とても驚いたのを覚えています」(同会担当者)
写真提供:山本五十六元帥景仰会