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なぜ日本はコロナワクチンを開発できないのか…日本の生命科学を潰した「旧科学技術庁の野望」
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2022.04.19 11:00 最終更新日:2022.06.30 13:21
現在、猖獗を極める新型コロナウイルス感染症は、いずれは終息に向かうだろう。しかし、2022年4月現在、まだ感染者が減少に向かっているとはいえず、我が国の経済にも深刻な影響を及ぼしている。
2021年3月14日に行われたNHKのテレビ討論会を眺めていたところ、日本維新の会の片山虎之助氏が、「現在先進諸国では、すでに国民の多くがワクチン接種を完了しているのに、我が国ではひたすら外国製のワクチンに頼り、ワクチン接種計画も二転三転している。なぜ我が国ではワクチンの製造、供給ができないのか」と、しごくもっともな疑問を呈された。
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すると政府側の出席者から即座に、「コロナ対策はワクチン接種だけではありません――」と、問題を逸らそうとする発言があった。
さらに別の出席者は、「我が国は元来ワクチン接種を好まない国民性がある。たとえばインフルエンザワクチン接種率は、他の先進国では国民の70から80パーセントであるのに、我が国では50パーセントにとどまっている。このため我が国ではワクチンの需要が少なく、製薬会社も販売に力を入れない。この結果、我が国の製薬会社のワクチンの製造能力が低く需要に応じられない」と述べ、片山氏の呈した質問はうやむやにされてしまった。
我が国の国民がワクチンを嫌う性癖を持つとは、私は聞いたことがない。
また、我が国は人口が少なく、ワクチンの市販に必要な、第三相試験の実施が困難である、との意見が、我が国のワクチン製造能力の欠如の理由として主張されている。
しかし我が国よりはるかに人口の少ない英国やベルギーでもワクチンが開発されているのである。政府はどうやら、我が国にワクチンを開発し製造する力がない惨状に触れられたくないようである。
我が国は中国に追い越されたとはいえ、世界第3の経済大国である。それにもかかわらず、他国からのワクチン輸入に汲々とするとは醜態である。
■科学技術庁の吸収合併
現在、我が国の生命科学を「周回遅れ」どころか「滅亡」の危機に追い込みつつある原因は「国立大学の独立行政法人化」である。その原因を過去に辿ると、科学技術庁の文部省への吸収合併に行き着く。
これは、従来文部省とは独立した行政官庁であった科学技術庁が、不祥事を起こしたことに対する「懲罰的処置」により、当時の文部省に合併・吸収され、その結果、文部省は「文部科学省」に名称を変えたのであった。
ところがこの処置は裏目に出ることになる。文部省は科学行政に関して無定見であり、有力教授の利己的な要求に唯々諾々と従ってきた。つまり当時の文部省には、独自の「意思」はなかったといえよう。
これに反して科学技術庁の人々は、科学立国という目標を持ち、これをいかに実現するかという目的意識を持っていた。そして彼らは、懲罰的処置により文部省に組み入れられると、これを逆に好機と捉え、徐々に文部科学省の内部で影響力を増大させていった。
どんな組織であっても、明確な意思を持つ者と、これを持たない者が一緒になれば、意思を持った者が主導権を握ることは自然の成り行きである。
こうして文部科学省は、もとの科学技術庁の人々の意思に引きずられていくことになった。つまり「庇(ひさし)を貸して母屋を乗っ取られた」のである。
旧科学技術庁の職員だった人々は、こうして文部科学省としての発言権を手中にすると、ついに2001年、文部科学省の所管する全国立大学の改革案を、政府の「経済財政諮問会議」に提出した。この改革案には、
(1)国立大学制度のスクラップ・アンド・ビルドによる活性化
(2)民間的発想による(大学への)経営手法の導入
(3)第三者の評価による経営原理の導入
などが強調されていた。
これは明らかに、旧科学技術庁の人々が、民間の営利会社の経営原理を、元来営利とは直接関わりがない(はずの)国立大学の運営に持ち込み、「活性化」の名のもとに「営利会社化」しようとするものであり、そしてこの考えが、我が国の財政を握る財務省の内諾を得ていることを示唆していた。
そしてこの我が国において、技術立国の美名のもとに、本来自由であるべき大学の学問が踏みにじられることが予想された。
このような計画が着々と進行しているとき、文部科学省の大臣を務めていた有馬朗人氏は、東京大学理学部物理学科出身の物理学者であったが、文部科学省の職員から国立大学の独立行政法人化に同意するか否かを問われ、「大学の各講座に交付されてきた『講座運営費』が減額されないなら、この案に同意する」と答えた。
この結果、しばらく後の2003年、ついに全国立大学の独立行政法人化が強行された。有馬氏は2020年に死去されたが、生前、「講座運営費が減額されない」との約束が反故にされたことを後悔し、あの政策は失敗だった、と言明したが、「後の祭り」に過ぎなかった。彼が賛成しようとしまいと、この政策が強行されたには違いないが。
ところで、この政策の強行は国立大学存亡の危機をもたらす、と個人的に訴えた国立大学教授は多かったが、全教授が職を賭してこれに反対する動きはついに見られなかった。一橋大学では、全教授が「この政策を強行するなら、我々は辞職する」と文部科学省に申し入れたが、「お辞めになりたければ、どうぞ」と言われると、腰砕けになってしまったらしい。
結局、「大学の自主性の尊重」は無視され、さらに全ての大学の研究者にとって文字通り血脈であった、各研究室の(あるいは各講座の)研究費が、毎年1パーセントずつ減額されることになった。
実際にはこの減額値は他の諸経費の減額と加算されており、それが毎年継続される。この処置により減額される各講座の研究費は、私の知る例では10年間で約100万円にもなる。
たとえば、ある講座の研究費が当初1年あたり200万円だったとすると、10年後にはこれが100万円、つまり半額になってしまうのである。
なお、この一方的な措置は、文科省から各大学に何の説明もなく突然行われ、大学の人々は何の声も上げられなかった。
この講座研究費の毎年の減額は、数年前にやっと停止し、「低値安定」となったそうである。この額は、講座研究費減額開始前の額の3割減以上になるという。
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以上、杉晴夫氏の新刊『日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか 国際的筋肉学者の回想と遺言』(光文社新書)をもとに再構成しました。絶望の淵に立たされた日本の生命科学の現状を憂います。
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