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「パンダ」と言われてもパンダの姿を思い浮かべられない「アファンタジア」の人たち【発達障害の現場】

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2023.11.24 16:00 最終更新日:2023.11.24 16:09

「パンダ」と言われてもパンダの姿を思い浮かべられない「アファンタジア」の人たち【発達障害の現場】

 

 我が家の三男ヨウは自閉症である。若干の発達(知能)の遅れもある。2023年現在、中学3年生(14歳半)で、自宅の近くの公立中学校の特別支援級に通っている。

 

 ヨウには自閉症の症状っぽい、ちょっとしたこだわりや動き、コミュニケーションの悪さがある。ただ、家族や先生との会話はできる。お笑い、マンガゲームなんかの自分の好きなことについては饒舌になる。ヨウの状態は、障害者として(学校での特別支援教育以外には)公的なサービスが受けられるほどではない。

 

 

 しかし、勉強だけでなく、学校生活で他の子に合わせて行動することは難しい。けれども、周囲には「勉強には苦労するものの、日常生活はそれほど問題ない」とみなされる。そのため、能力的には明らかに厳しいけれども、いわゆる健常者と同じ土俵で競うことになる。

 

 ヨウはなかなか漢字を覚えられない。その理由は、語彙の少なさ以外にも、漢字の形を思い浮かべることが難しいという問題がある。ヨウは人の顔や名前を、全然覚えない。小学校では、5~6人しかいない特別支援級のメンバーについては、何とか覚えていた。

 

 しかし、交流級については、何年も同じクラスになっている子ですら、ちゃんと覚えていない。テレビの中のお笑い芸人は区別できているので、人の顔がまったく認識できないというわけではなさそうだ。しかし、俳優については、特定のドラマの中では認識できても、別のドラマやバラエティ番組に出演していると、同一人物であることに気がつかないことが多い。

 

 父(筆者)も、人の顔(と名前)を覚えるのが苦手である。そして、父も、小学生の頃には、漢字を覚えるのが不得意だった。父が人の顔を覚えられないのは、頭の中で映像イメージを浮かべるのが苦手なためである。

 

■アファンタジア

 

パンダを思い浮かべて」と言われれば、ほとんどの人は、頭の中でパンダの姿を映像として思い浮かべるだろう。しかし、アファンタジアと呼ばれる障害をもつ人々は、頭の中にパンダの姿を、映像として思い浮かべることができない。

 

 彼らはパンダを見れば、パンダだと認識できるし、パンダが持つ特徴を、ことばで説明することはできる。パンダについて考えることには全く問題はないのだが、視覚的イメージを思い浮かべることは難しい。

 

 この現象については、100年以上前に、そういう人がいることの指摘はされていた。しかし、きちんと研究されるようになったのは、21世紀になってからで、アファンタジアという名称が与えられたのは、ようやく2015年のことである。

 

 現在では、50人に1人がアファンタジアではないか、ともいわれている。これはかなりの割合である。ただ、50人に1人というのが、完全に映像的なイメージがない人を指しているのか、まったくイメージが浮かばないわけではないが、不安定で、あまり使いものにならないというレベルなのかはわからない。現段階では、そこまで研究が進んでいない。

 

 父も、映像的なイメージを思い浮かべるのは、かなり苦手だが、全然できないというわけではない。簡単な図形、特に〇や△のような平面(二次元)図形なら思い浮かべられるし、放物線なんかのグラフも大丈夫である。

 

 風景や人の顔については、頑張ると、一瞬思い浮かぶような気はするが、はっきりと安定した状態を保つことは難しい。おそらく、アファンタジアもスペクトラムになっていて、まったく映像的なイメージがない人から、短時間ならぼんやりとは浮かぶ人、ぼんやりしているが、ある程度安定した映像の維持が可能な人まで、程度の差や傾向の違いがあるのだろう。

 

 父はおそらく、中程度のアファンタジアである。そのため、人の顔を覚えるのが難しいし、漢字を思い出すのも難しい。人の顔は直接見れば区別はできるし、(名前は思い出せないことが多いが)知り合いかどうかの区別はつく。

 

 漢字についても、読むことにはそれほど問題はない。しかし、「〇〇さんって、知ってる?」と尋ねられても、その人の顔を思い浮かべることはできない。漢字を書こうとしても、はっきりとイメージすることができないので、手書きの際には(電子)辞書が必須である。

 

 ヨウも、父と同様の症状を抱えているのではないかと思う。アファンタジアの場合、苦手なことはあるものの、それほど問題にはならないことが多い。

 

 映像的なイメージが浮かばないと、グラフィック系の仕事は難しいだろうと思われるかもしれないが、意外とそんなこともない。かなり多くのアファンタジア、もしくはそうした傾向を持つ人が、グラフィック系のクリエーターやデザイナーとして活躍している。

 

 有名なところでは、アニメスタジオのピクサーの元社長のエドウィン・キャットマルが、アファンタジアであることを公言している。彼は、コンピュータグラフィックスが専門である。ウェブデザインを始め、現在のコンピュータグラフィックスは、それが完成して画面に表示されるときには映像だが、そのプログラムを作っている途中は(コンピュータ)言語である。

 

 コンピュータで映像を作るためには、(コンピュータ)言語で記述しなければならない。アファンタジアの人は、映像イメージが使えないので、普段の生活でも、言語的な表現に偏った生活をしている。

 

 目で見たものを、見たままに、映像的に思い出すといったことができないので、目で見たものを言語化して覚えたり、思い出したりしている。そうした情報処理のやり方が、コンピュータグラフィックスと相性がいいのかもしれない。

 

 

 以上、柴田哲・柴田コウ氏の新刊『発達障害児を育てるということ』(光文社新書)をもとに再構成しました。発達心理学を専門とする大学教授の父と、臨床心理士・公認心理師である母が、「軽い自閉症児」の育児を回顧します。

 

●『発達障害児を育てるということ』詳細はこちら

( SmartFLASH )

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