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文意が汲み取れない、日本語が出てこない…「グローバル人材教育」を受けた日本人学生たちの不安と苦悩

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2024.06.01 11:00 最終更新日:2024.06.01 11:00

文意が汲み取れない、日本語が出てこない…「グローバル人材教育」を受けた日本人学生たちの不安と苦悩

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「グローバル化が進行している」と日本で謳われるようになって久しい。日本政府は急速なグローバル化に対応すべく、高等教育において英語を教授言語とするEMIプログラムの設置を推し進めている。

 

 EMIとは、「English-Medium Instruction」の略で、人口の大多数の母語が英語ではない国や地域で、英語を使って教科を教えることである。

 

 日本でのEMIは増加傾向にある。2008年に4年制大学のうち、学部段階で「英語による授業」(日本語を併用するもの及び英語教育を主たる目的とするものは含まない)を実施していたのは190校で、「英語による授業」のみで卒業できる学部は8学部であった(文部科学省、2010)。
 

 しかし、2021年度では、4年制大学全体の40.8%にあたる307校が、学部段階で「英語による授業」を実施し、「英語による授業」のみで卒業できる学部数は88学部にのぼる(文部科学省、2021)。

 

 EMIはさらなるグローバル化に対応するため、今後も増加していくと予想される。

 

 

 筆者は、日本生まれの日本育ちで、日本のEMI実施学部を卒業した。4年間を日本にいながら英語環境で過ごし、1年間の海外留学も経験している。

 

 EMI実施学部を卒業し、大学院に入学すると、筆者は自身の日本語に漠然とした不安を持ち始めるようになった。この漠然とした日本語の不安は、筆者一人だけが感じているものではなく、同じく日本のEMI実施学部を卒業した友人たちのなかにも、日本語に対してなんらかの不安を抱えるものがいた。

 

 そしてその不安は、EMI実施学部のコミュニティの外に属したときに現れているようだった。

 

 筆者は、日本でEMIを実施する学部が増加するとともに、筆者と同じように「日本語の不安」を持つ日本人、つまり、母語に不安を持つ日本人が増加していくのではないだろうかと考える。

 

 具体的に見てみよう。

 

 じゅんは、同期と比べて、自分は文意を汲み取る能力が低いと感じていた。自分一人だけ指示が理解できていないときがあるという。指示が通っていないだけでなく、会議などで〈会話についていけない〉こともあり、困惑していた。

 

 じゅんは〈文意が汲み取れない〉理由を、〈知らない日本語〉があること、そして当該学部がはっきり主張する文化圏だったことの弊害であると考えている。

 

じゅん:文意が汲み取れない、何言ってるか分かんない瞬間がある。その、なんだろうな、ビジネス用語だと思うんだよね。たぶん私が日本語を知らない。なんか、展開してください、とか、五月雨(さみだれ)式で申し訳ありませんが、とか、あとはその技術的なそういうその単語(業界用語)。

 

 じゅんは、文意を汲み取れないうえに、業務で必要な単語、日本語表現といった語彙が不足していることが問題だということであった。当該学部で日本語を使ってこなかったことの影響が、現在、仕事をしているときに現れていると考えていた。

 

 EMI実施学部の卒業生の全員に共通していた日本語の問題点は、〈アウトプットが苦手〉ということだった。相手に何かを伝えたいときに、適当な日本語が出てこないのである。彼らには、〈日本語が出てこない〉〈英語が混ざる〉という現象が起こっていた。つまり、言葉に詰まってしまったり、日本語の単語が英単語に置き換わってしまうのだ。

 

 みずきの場合、物の名前の日本語発音が分からないそうだ。英語の発音に置き換わってしまい、なんと言えばいいのか分からないらしい。帰国子女にありがちな言語の問題でもある。

 

みずき:今日、話に出たのが、フォルクスワーゲン。車の。英語だと、ヴォルクスワーゲンじゃん。うちの母親と話してて、(パートナーが)フォルクスワーゲンのジェッダっていうのに乗ってたんだけど、英語で言うと、ヴォルクスワーゲンのジェタなのよ。だから、「いや、なんて言うんだろう……」って(笑)、考えて。発音(が分からない)。

 

 彼らは、まず、日本語使用に問題があった。敬語表現が分からない、語彙の不足、日本語が出てこない、英語に置き換わる、日本語母語話者が使用しない表現または造語を使うこと、が日本語使用の問題点であった。
 

 これらの日本語使用の現象が、他者からの指摘や不審な視線を受けることで、問題が不安へと変化していく。

 

 さらに、EMI実施学部の文化と日本社会の文化が異なっていることから、価値観、考え方に差があり、会社と自分が合っていないのではないか、社会の一員として認められていないのではないかという不安が現れている。

 

 彼らは、自分たちがグローバル人材であると明確に自覚していた。彼らの考えるグローバル人材とは、英語を使えるだけでなく、柔軟な考えと多角的な視点を持つ人である。グローバル人材という自覚のもと、海外で働きたい、英語を使用して仕事をしたいと就職活動を行なっていた。

 

 一方で、英語に対する自信のなさや、自身のコンプレックスを抱えながらも、日本社会に対してグローバル人材である姿を前面に出す他ないという苦悩も見られた。

 

 加えて、彼らの考えるグローバル人材像と、日本社会の求めるグローバル人材像には、乖離があるようだった。世界をつなぐ人材になるには、ただ英語が話せるだけではなく、様々な意見を受け入れる姿勢が必要であると、彼らはEMI実施学部での経験を通して学んでいる。しかし、日本社会が捉えるグローバル人材像は、英語能力が最重要視されているようだと彼らそれぞれが感じていた。

 

 彼らは、グローバル人材としての自覚と、日本社会への違和感により、自身の価値を見失いつつある。社会から承認を得られていないのである。

 

 

 以上、近刊『英語ヒエラルキー グローバル人材教育を受けた学生はなぜ不安なのか』(光文社新書、佐々木テレサ・福島青史著)をもとに再構成しました。言語習得の臨界期を過ぎた外国語教育の現実とは。

 

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( SmartFLASH )

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