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ドコモをやめてパンケーキ店を開業「人生の転機」はハワイに

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2017.12.21 20:00 最終更新日:2017.12.21 20:00

ドコモをやめてパンケーキ店を開業「人生の転機」はハワイに

 

 出身大学も就職先も超一流。だが退職してパンケーキ店を開いた。決断に至った背景とは!?


 原宿で女性が行列することで有名な店のひとつに、「レインボーパンケーキ」がある。岩城大さん(43)が奥さんと2人で、人通りの少ない道に店を開いたのは、6年前のことだ。

 

 開業するまでに1年半の準備期間があったが、それまではNTTドコモの社員だった。一橋大学商学部出身のエリートで、ゼミではITの情報処理を学んだ。

 

「入社したのはドコモがまだ上場する前。人を幸せにするとか、人とつながることで自分も幸せになれる仕事がしたいと思っていた。コミュニケーションって人が喜びを感じるうえで、なくてはならない手段だと思うが、それを生業にできるっておもしろいし、なによりケータイには夢があるなって思った」

 

 会社ではおもにマーケティングの仕事をしてきた。ケータイユーザーの意見を直接聞き、使い勝手やその存在意義、何を期待し、何を喜びとするかなど深層心理を探るようなこともした。

 

 ちなみに当時ドコモは、支店と本社勤務を繰り返すことで、キャリアアップしていく仕組みだった。しかし、岩城さんは入社当初の3年間を除き、本社勤務を続けた。

 

「ケータイの商品企画から販売、プロモーション、アフターフォローと、商品の長期のサイクルをざっくりと一通り経験させてもらった」

 

 大学時代は、バックパッカーとして海外旅行を楽しみ、 30カ国近くの国々を訪れた。そして、31歳のとき初めてハワイへ行った。そこでパンケーキと出会った。

 

「パンケーキ屋へ行ったら行列ができている。それも日本人の女のコばっかり。当時って、日本ではパンケーキなど注目されていない時代。よくわからないまま1時間ぐらい並んだ。

 

 で、出てきたパンケーキがこれまたかわいくて、おいしそうで。食べると甘く、最高に幸せな味だった。これはおもしろいものだなと思うと同時に、日本にあればきっと大勢の人がハッピーになれるのにと思った」

 

 本社勤務が10年近くになって、ある日上司から「役職を上げるために、そろそろ支店に行かないか」と言われた。そのときなんとなく会社での将来の自分と、この先の仕事がどんなものか見えた気がした。これでいいのか? 一度きりの人生、いつかは新しい挑戦をしたいとも考えていた。

 

「そのタイミングは今じゃないかと感じた。そのとき数年前に食べたハワイのパンケーキがパッと浮かんだ。あのパンケーキはまだ日本に来てないな、やったら絶対に流行るんじゃないか。もともと、市場調査やニーズを探る仕事をしていたので、変な直感じゃないけど、勘が働いた」

 

 35歳でドコモを退職。経営ならともかく、ずぶの素人がパンケーキを作る料理人になるのだ。親をはじめ皆から反対されたが、ひるまなかった。

 

 マーケティングの際、見ていたのは常にユーザーだった。客が喜んでくれるものやサービスを提供すれば、受け入れられる自信があった。パンケーキのポテンシャルの高さにも自信があった。1年間、目指すパンケーキ作りに取り組んだ。

 

「こだわったのは、日本人向きのフワフワした食感と、ほっこりしたやさしい甘さ。そのためのメニュー開発には一切妥協せず、苦労を惜しまなかった。わからないところは、友達になったイタリアンやフレンチのシェフに聞き、アドバイスしてもらった」

 

 36歳のとき奥さんと「レインボーパンケーキ」をオープン。奥さんは7歳年下で、同じドコモの社員だった。岩城さんが辞めると言うと「じゃあ、私も」と一緒に辞めた。結婚する前の話だ。

 

 そして1年間、奥さんは接客の勉強をして、2人で力を合わせて人気のパンケーキ店を作った。その事情を知れば、ふたつ重なったパンケーキは、まさに岩城夫妻の姿でもあるようだ。
(週刊FLASH 2018年1月2・9日合併号)

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