
藤野真紀子さん。自身の料理教室「マキコフーズ・ステュディオ」(神奈川県横浜市)で(写真・福田ヨシツグ)
1990~2000年代にテレビや雑誌を席巻したスター料理人たち。いまも厨房や店に立ち、新たな挑戦を続けている彼らの現在地を追った!
料理研究家として活躍し、衆議院議員も務めた藤野真紀子さん。夫は、元運輸省のキャリア官僚で、参議院議員を務めた公孝氏だ。
「大学を卒業して、すぐに結婚しました。当時は、それを疑問に思うこともなかったんです。夫の海外赴任にともないニューヨーク、そしてパリで暮らしました。そこでお菓子作りに出合ったんです」
1982年に帰国し、雑誌で料理や菓子を紹介するようになる。1992年に料理教室を開くと、500人待ちの人気に。「カリスマ主婦」として女性誌の表紙を飾り、CMにも出演した。
そして2005年、小泉政権下の衆院選で出馬を打診され、当選。“小泉チルドレン”として政界入りする。
「政治のことは何もわからず、新聞の社説を読むところから始めて、必死に勉強しました。それでも、食育や動物愛護と、自分が取り組んできたことが政治につながりました。保護犬を“家族”として迎えてきたこともあり、超党派の勉強会を立ち上げたことは、忘れられない仕事でした」
2009年に落選すると、料理研究家としての活動を再開した。
「政治家になったことは、農業や家庭教育、女性の地位などについて考えるきっかけにもなりました。しかし、『政治色がついた』と批判されることもありましたね」
「食」をテーマに小学校で講演するなど、新しい仕事も始めたが、コロナ禍で料理教室の生徒が減少。さらに2025年、夫が転倒事故で首の骨を損傷し、いまも全身麻痺の状態だ。
「このところ、私たち夫婦の仲はギクシャクしていたんです。年金暮らしの認識が私にはまったくなくて、お稽古ざんまい。老後はつましく、という主人とは意見が噛み合わず、ついけんかになってしまって。彼に謝れずじまいだったことが、心残りですね」
夫は人工肺が必要になり、当初は毎月40~50万円単位の医療費がかかった。
「人生で初めて倹約しました。税金も家計も全部、主人まかせだったから、区民税が払えなくなり、区役所に相談したくらい。彼の後期高齢者医療保険も、あと60万円も支払いが残っています。買いものも明治屋や紀ノ國屋ではなく、大型ストアを利用するようになり、ファミレスでアルバイトすることも本気で考えました」
精神的に追い詰められ、「死にたいと思った」と振り返る。そんななか、障がい者支援をおこなう企業との出合いが転機となった。キッチンカーを始める計画が動き出したのだ。
販売するのは、スコーンやクッキーなど。キッチンカーは、6月は第2週を除く土日、7月は毎週土日に東京・浅草六区ブロードウェイへ出店予定だ。
「まわりからは『できるの?』と言われましたが、生きるためには胸を張って働きます。それに、自分のキャリアを生かせる仕事だと思っています。真っ暗闇だったけど、いまは針の穴くらいの光が見えてきた。やっと、またがんばろうって思えるようになりました」
取材/文・吉澤恵理
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