私がヤクルトの監督に就任した当時、ヤクルトという球団自体に明白な「巨人コンプレックス」があるのを感じていた。
顕著な例が「観戦チケット」だ。現在はどうか知らないが、私が監督に就任した頃の神宮球場のヤクルト主催ゲームは、チケットが「巨人・阪神戦」と「巨人・阪神戦以外」に分かれていた。チケット料金自体は変わらないが、「巨人・阪神戦」のC指定席が、「巨人・阪神戦以外」ではB指定席に格上げされる。
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裏返せば、巨人や阪神を特別視しているという何よりの証拠だ。プロとしていかがなものか。これではファンはもちろん、選手が巨人に苦手意識を持つ一つの原因になってしまう。
創業一族の松園尚巳オーナーは、「巨人ファン」をなかば公言していたらしい。
「ヤクルトが巨人に勝つと、ヤクルトレディが企業を訪ねてもヤクルト飲料が売れないんだよ。巨人以外に勝って優勝するのが一番の理想だ」
次期オーナーに就任した桑原潤氏や相馬和夫球団社長ら、お偉いさんが、ぶつぶつボヤいていた。
「野村監督、巨人戦以外はお客さんが入らなくて、なかなか経営がうまくいかないんです」
「それならいっそ巨人人気、長嶋人気にあやかりましょうよ。ヤクルトファンはアンチ巨人・アンチ長嶋のはずだから、マスコミを通して巨人批判、長嶋批判をバンバンやります。
遺恨対決をマスコミにあおってもらう。ヤクルト自体に注目が集まって人気が上がれば、巨人戦以外でも観客が増えます。ひいては野球界全体の発展につながります」
そう話したのは、1970年代に一世を風靡した松竹新喜劇の藤山寛美さんから、「人気商売、客商売にはマスコミの力を借りるのも一つの方法なんですよ」と教えてもらったからだ。
「なるほど。今まさにマスコミが言っている長嶋の『ひらめき采配』『カン(勘)ピュータ野球』になんて負けていられない!」と私は思い、巨人の悪口を公言し始めた。
ある野球記者が面白い表現をしていた。
「表現が失礼なのを御容赦ください。野村監督が『ドラえもん』だとすると、古田敦也が『のび太』、広沢克己が『ジャイアン』、池山隆寛が『スネ夫』、栗山英樹が学級委員の『出木杉』という構図。みんなが結束して敵(巨人)に立ち向かっていく」
それ以外のナインにも「野生児」の外野手・飯田哲也、「『大都会』を歌うクリスタルキングの物マネ」が得意だった高津臣吾ら、タレントがそろっていた。
ふだんはオチャラケているが、「やるときはやる」ギャップが、ファンには魅力だった。当時の流行語で言うなら「新人類」。新人類と「伝統の巨人」の対決は大人気を呼んだ。
果たして私の思惑は、うまくいった。観客動員は劇的に伸びた。
ヤクルトの選手は、神宮球場が学生野球の聖地であるため常に自由に使用することはできない。まず、隣接する神宮外苑室内球技場で練習し、大学野球の試合が終了次第、そこから徒歩わずか2~3分の神宮球場に移動する。
しかし、熱烈なファンに囲まれてその移動が困難になった。だから神宮外苑室内球技場に横づけしておいた貸切バスに乗り込み、一度、青山通りに出てから、神宮球場正面にバスを停め、球場入り。
「甲子園のアイドル」荒木大輔もヒジの故障から復活。荒木は、「荒木トンネル」の名のついた秘密の地下通路から神宮球場入りしていた。
そんな面倒なことをしないと球場入りできないほどの大人気を博したのである。
神宮球場に女性ファンが飛躍的に増えた。妙齢の美女が、人気と実力を兼備するヤクルトの選手を一目見ようと、スタンドのそこかしこに陣取った。スポーツ紙カメラマンは、望遠レンズで美女を探して楽しんでいた。
1993年・1994年のヤクルトファンクラブは、定員2万人の「満員御礼」。四半世紀前はバーコードで管理する会員カードなどなく、手作業で来場スタンプを押していた。
「優勝がかかった試合で2万人の入場無料ファンが一気に来場したら、数名のファンクラブスタッフでは対応・管理が不可能になる」と、それ以上の入会をお断りしたそうだ。
マスコミを利用する作戦にはただ一つ、誤算があった。
「『セ・リーグを盛り上げるため』『ヤクルトの人気獲得のため』と、ヤクルト球団上層部から巨人上層部に対して、その旨、一報を入れておいてください」
念押ししておいたにもかかわらず、それが巨人側にきちんと伝わっておらず、長嶋家が「野村の長嶋批判」を本気にしたようだ。
長嶋本人だけでなく、一茂も、娘さんの三奈嬢(現・スポーツキャスター)も。言い訳するわけにもいかず、あれには正直、参った……。
「かくかくしかじか、本当はこういう裏事情なんだよ」
どれだけ弁明したかったことか。男性は、女性に嫌われるのはツラいものである。依然、誤解は解けていない。この場を借りてお詫びする次第だ。
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以上、野村克也氏の新刊『私が選ぶ名監督10人 采配に学ぶリーダーの心得』(光文社新書)を元に再構成しました。日本プロ野球の黎明とともに生を受けた「球史の生き証人」が選ぶ10人の名将たち。歴史をつくったリーダーに見る、部下育成、人心掌握、組織再生の真髄です。