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絶対に首を切らなかった日本の「名経営者」(1)佐治敬三
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.10.08 16:00 最終更新日:2018.10.08 16:00
アパレル大手の三陽商会が3度目のリストラをしたり、大正製薬が創業以来初めてリストラしたりと、相も変わらず、リストラのニュースが流れ続ける。
かつて、日本企業には「絶対に首を切らない」と宣言した数多くの経営者たちがいた。そんな名経営者たちを紹介していこう。
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連結売上で2兆5000億円弱を売り上げる「サントリー」は、サントリー食品インターナショナルを除き、上場していない。株主に余計な口出しをされたくない、というのがその理由。1899年の創業以来、社員の首切りはなし。2014年に新浪剛史氏が社長に就任するまで、長らく、同族経営を貫いてきた。
もともと創業者の鳥井信治郎は「利益は、社会と社員と会社に3分の1ずつ還元すべきだ」という『利益三分主義』を提唱していた。それが具現化されたのは、創業者の二男・佐治敬三が1961年に社長に就任してからだった。
「佐治社長は社員に対して常に新しい提案を求めていた。成果を求めず、失敗してもいいから、やってみたかどうかを重要視した。先代から受け継いだ『やってみなはれ』精神を大切にしたんです」
そう話すのはビール業界に詳しい経済ジャーナリスト。社員一人ひとりを個人事業主と考え、社員の自主性と自由な発想を重視した。
「同族会社だから社員は社長にはなれない。その代わり社員は肩書に関係なく意見を言い合える社風がありました」
その社風が新商品を生み出し、これまで大きな経営危機に陥ることがなかった。
佐治社長は、先代が手がけたウイスキーが自分を助けたように、次にはビールを育てたいと思っていた。
「ビールを売るために『全社員セールスマン作戦』を展開したことがありました。そのときは「自分も先頭に立って売るんだ」と言って、社員とともに店頭に立った。現場を重視して、社員と一緒の目線を持っていました」
ビール事業はスタートから46年の歳月を経た2008年、初めて黒字に転化した。
1999年、佐治社長が亡くなったとき、ライバルのアサヒビール樋口廣太郎社長が弔問に訪れ社員に話した。
「遺影の目を見たか。佐治は笑ったことがない。あんな目をしたやつを見たことがない。笑わないあの目がサントリーを支えたんだ」