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【目指せ不思議スポット】桃太郎伝説の真相に迫る!?「鬼ノ城」
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.10.21 06:00 最終更新日:2018.10.21 06:00
誰もが子供のころに読み聞かせられたであろう、昔話の「桃太郎」。桃から生まれた桃太郎が、犬・猿・雉を従えて鬼退治に乗り出すストーリーはお伽噺の代表格だが、これは史実に基づいた物語であるとの説がある。桃太郎にはモデルが存在していたのだ。
地域によって諸説あるものの、最も有力視されるのは古代の皇族、吉備津彦命である。
吉備津彦命は『日本書紀』に記された四道将軍の1人であり、現在の岡山県を中心とする瀬戸内海近辺エリアに派遣された武人として伝えられる人物だ。
実際、桃太郎伝説のお膝元といえば、岡山の印象が強い。これは宮内庁が認定する吉備津彦命の墓(中山茶臼山古墳)が岡山市内にあることのほかにも、吉備に温羅(うら)伝説が伝わっていることも大きい。
温羅とはこの地域の伝承に残る鬼のこと。その昔、はるか遠い百済から空を飛んで吉備の国にやってきた温羅は、民家や船を襲い、食料や腐女子を強奪するなど、悪行三昧に講じていた悪の支配者。目を見張る大男で、髪はぼうぼう、目は爛々。力も強く、誰も逆らうことができなかったという。
そんな被害を伝え聞いた大和朝廷は、温羅討伐のために武将を吉備の国に差し向けるも、あえなく撃沈。そこで白羽の矢が立ったのが、武勇の誉れ高い吉備津彦命だった。
温羅を成敗し、平和を取り戻すために派遣された吉備津彦命。この際、彼が従えたのが、犬飼健、楽々森彦、留玉臣という3人の家来であったという。
――いかがだろう? これは僕らが幼少期から知る「桃太郎」の寓話を、そのまま踏襲したストーリーではないか。
ある新緑の季節、桃太郎伝説の残滓を追うため、僕は岡山県へと向かった。目的地は、総社市にある「鬼ノ城」だ。
名称からしてすでに鬼の痕跡が漂っているが、鬼ノ城は標高397メートルの鬼城山に設置された、山頂の古城である。築城は7世紀後半とされているが、記録に乏しく、定かではない。
当時の大和朝廷が自国防衛のために築いた防御施設の1つと見られ、およそ30ヘクタールの敷地を、総延長2.8キロに及ぶ城壁が囲んでいたことが判明している。
温羅伝説では、この鬼ノ城こそが温羅の居城だったとされる。
鬼城山はすり鉢を伏せたような形状で、険しい斜面に四方を囲まれながら、山頂にはなだらかなスペースが確保されている、要塞を置くのに理想的な地形が特徴。
現在は復元整備が進められ、4つの城門と、排水用の水門を6つ備えた、機能的な山城であったことがわかっている。
鬼ノ城の敷地内からの見晴らしを見れば、ここが周辺を監視するのに適した立地であることは明らか。瀬戸内海だけでなく、四国の山々までを見通すことができ、非常に戦略的な築城であることがわかる。
温羅伝説をいったん脇に置いたとして、これほど要塞然とした山城を建てたのは誰なのか。疑問がロマンを焚きつける。
神話やお伽噺には必ずそれに相当する実話があるとも言われ、温羅にもまた、歴史上のモデルが存在するのではないか。その場合、百済から飛んで来たとの伝承があるように、大陸から優れたノウハウと暴力を持って乗り込んできた山賊(あるいは海賊)であると考えるのが自然だろう。
その意味では桃太郎の元ネタは、勧善懲悪の物語というより、国と国との戦争のヒストリーであるとも言えそうだ。
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以上、友清哲氏の新刊『消えた日本史の謎』(知恵の森文庫)から再構成しました。謎の構造物、おかしな物体、奇妙な伝承、未解明のパワースポット…不思議をめぐる旅の記録です。
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