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羽生善治竜王、通った将棋クラブ主が語る「伝説の小学生時代」
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.11.24 06:00 最終更新日:2018.11.24 06:00
「開所した1977年の翌年の8月のことです。クラブで、子供の将棋大会を開くことになり、地域のミニコミ誌に広告を出したら、それを読んだお母さんが、当時小学2年生だった羽生竜王を連れてきた。
地元の子供たちがいっぱい来てくれたらいいな、くらいに思っていたら、思いもよらない大物が引っ掛かってきた(笑)」
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こう話すのは、東京都八王子市にある八王子将棋クラブのオーナー、八木下征男さん(75)。同クラブは、勝てばタイトル通算100期目となる竜王戦を戦う、あの羽生善治竜王(48)が幼少期に通った将棋クラブだ。
「羽生少年はクラブに通い始めた頃は、駒の動かし方を覚えた程度で、よちよちの将棋でしたよ。最初の大会の結果は、1勝2敗。小学生向けの大会でしたが、間違えて中学生も来ていて。羽生少年の1勝は、その中学生から取ったものでした」
後年、天才の名をほしいままにする羽生少年は、どこにでもいそうな小学生だった。
「クラブに本格的に通い出したのは、1978年の10月頃でした。毎週土曜日に来ていました。当時、羽生さんのお宅は、クラブからバスで30〜40分かかる山あいの場所にありました。
近隣にスーパーなどがなかったそうで、街中にお母さんが出てきて買い物をしている間に、羽生さんをウチに預けていたんです。初めて来たころはモジモジしていましたけど、人懐っこい子でしたよ」
クラブで将棋に熱中するうち、みるみる上達していった。
「羽生さんは、ほぼ毎週のように級が上がっていった。入った頃は15級でしたが、2、3カ月で7級に。入所から半年後の1979年3月には6級に昇格していました。他にも強い子がいましたが、そんなに強い子は羽生さんしかいませんでしたよ」
羽生竜王は、1982年に奨励会に入会。クラブに通っていたのはこの頃までだった。その後、驚異的なスピードで昇段、勝利を重ねた。非凡さは、当時からはっきりと現われていた。
「羽生さんの子供のころの将棋は『早い将棋』。感覚が優れているから、いい手がすぐに思い浮かぶんでしょうね。終盤、危ない手だなと思っても、それが通って一気に攻め潰してしまうんです。
小学生3年生のころから、前に見たテレビの対局の棋譜が頭に入っていて、将棋盤なしで、自分なりの批評を加えて話すんです。すごいなあと思いましたよ。私はそこまで頭の中で追えませんから」
中学3年の1985年12月、三段での13勝4敗を記録し、当時の規定で四段に昇段してプロ入り。昨年引退した加藤一二三氏、谷川浩司九段に続き、史上3人めの中学生プロ棋士となった。
「タイトル通算100期に王手をかけるなんて、そこまでは思いもしませんでした。でも、名人になるかもしれないとは思いました。
当時、羽生さんほど素晴らしい子は見たことがなかった。中原さん(誠・十六世名人)も、子供のころはこういう子だったのかなと想像したりしたものでした」
1996年に羽生竜王がタイトルの7冠を達成すると、憧れた少年たちが次々に入ってきた。阿久津主税八段、中村太地七段、村山慈明七段、長岡裕也五段、大橋貴洸四段がいた。
「だいたいは、八王子市の周辺の子供が多いですが、遠くから通う子供たちもおります。横浜市や大月市からくる子もいましたよ」
羽生竜王は、将棋界で一世を風靡してからも、クラブを訪れては、老若男女問わず指導対局をおこなっているという。
「私から頼んだことはないんです。今でも、羽生さんのほうから、『八木下さんには、昔、お世話になったから』と、年に1回来てくれるんです。『いつ都合がいいですか』と連絡が来るのですが、こっちはいつでもいいんですけどね(笑)」
13人のプロ棋士を輩出した名門将棋クラブが、本年12月末で42年の歴史に幕を閉じることになった。八木下さんの体調も優れず、入居ビルの改修工事が重なったからだった。
「建物の老朽化で、来年はじめから改修工事に入るんです。私は週3回、人工透析を受けていて、4年ほど前から、漠然と75歳になったら辞めようと思っていました。定年65歳というけれど、10年も余計にやったしね。
羽生さんには今年の春、閉めることを伝えました。そのとき、『(クラブを閉めても)教室みたいなことをやったらどうですか』と言われましたが、体力的にも責任が持てないなとも思うし、返答を濁したんです。後日、人づてに、羽生さんが『八木下さんの意志を尊重します』と言っていると聞きました」
前人未到の記録を打ち立て続けた羽生竜王は、タイトル通算100期獲得という記録を目指し、竜王戦の対局を続けている。奇しくも、羽生竜王が初めて獲得したタイトルは、竜王位だった。
「一般的には、羽生さんに獲らせたいというムードが漂っています。藤井聡太四段のときもそうでした。閉所する前に、100期が決まるといいですね」