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日本の聖地を行く/沖縄・久高島クボー御嶽は「男」立入禁止
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.02.22 11:00 最終更新日:2019.02.22 11:00
日本の各地には数多くの聖地が存在している。近年では「パワー・スポット」ということばが生まれ、若い人たちを中心に関心を集めているが、パワー・スポットの多くは従来なら「聖地」と呼ばれていた。
そんな日本の聖地を、宗教学者の島田裕巳が旅をする。
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久高島は、沖縄本島の東南部にある知念岬の東、洋上5.3kmにある小さな島である。島の周囲は約8kmで、人口も200人を超えるにすぎない。
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だが、久高島は「神の島」とも呼ばれ、琉球神話のなかで重要な位置を与えられてきた。島のなかには数々の聖域があり、とくに12年に一度行われていた「イザイホー」という祭祀は名高い。現在では過疎化が進行し、イザイホーは1978年から中止されてしまっているが、その復活を望む声は絶えない。
琉球神話においては、東方の海の彼方にニライカナイ(ニラーハラーとも言う)という異界の存在が想定されている。そこから女神であるアマミキヨ(アマミヤ)と男神であるシネリキヨ(シラミキヨ)が久高島に来訪したとされている。
そのアマミキヨが作ったとされる7つの聖域のうちの1つがクボー御嶽である。クボー御嶽はフボー御嶽とも呼ばれるが、クボーとは沖縄の至る所に自生しているクバの木(ビロウ)のことである。
「イザイホー」は12年に1度、午年に行われるもので、島の30歳から41歳までの女性が神女になるための儀礼だった。
イザイホーが受け継がれていた時代には、久高島には女性だけの祭祀組織が存在した。その頂点には、外間ノロと久高ノロの2人のノロが君臨していた。ノロとは、琉球王朝によって認められた正式な神職のことである。そのノロを補佐するのが、シズのようなウメーギで、その下に年齢別の集団が形成されている。
それは上から「タムトゥ(60~70歳)」「ウンサクー(50代後半)」「シュリユリタ(40代後半~50代前半)」「雑事役(40代)」「成女(30~41歳)」と呼ばれ、雑事役はウットゥヤジクとも呼ばれる。
どの年齢集団に属するかで祭祀における役割が変わり、成女は神女の見習い的な立場にあった。
この祭祀組織は500年前に琉球王朝が統一されて以降に確立されたもので、新たなメンバーを補充するためにイザイホーが営まれてきた。
だが、1978年の次の1990年には、成女になるべき年齢の女性が島にいなかったため、イザイホーは行われなかった。その次の2002年も同じで、そのあいだに、祭祀組織を担う神女たちも亡くなったり、年をとったりで不在となり、組織自体が成り立たなくなっていった。神女は70歳で引退するしきたりになっている。
私たちはフェリーで久高島に渡った。船着き場の近くにあった店でレンタサイクルを借り、それで島をまわることにした。それ以外には、歩いて島内をめぐるしかない。ただ、小さな島なので、全部をまわっても、さほど時間はかからない。
クボー御嶽は道の脇にあり、全体はクバの木に覆われている。入り口のところには観光用の看板が設置され、御嶽の由来が示され、なかがどのような形になっているか見取り図で説明が加えられている。
ただ、説明文の終わりには、「奥にある円形広場はイザイホーやフバワク行事などの祭祀場となっており、人々にとって最高の聖域です。何人たりとも、出入りを禁じます」と記されていた。
立ち入りを禁じる看板はもう一枚あり、厳重に立ち入りが禁じられていることがわかった。ただ、御嶽の入り口には看板があるだけで、柵などが作られているわけではない。看板に書かれていることを無視すれば、御嶽のなかに入ることもできる。
もちろん、私はそのなかに入らなかった。入るつもりもなかった。あえて禁をおかして、聖地を汚す必要はない。入り口の手前からなかをのぞいたり、写真を撮ったりしただけだった。
そこに1台の車がやってきた。なかには、4人の女性が乗っていた。車は御嶽の入り口の脇の道路に止まり、しばらく停車していた。ただし、誰も車から降りてこなかった。車のなかで彼女たちがどうしていたかまではわからなかった。なぜただ停車しているだけなのか、私には少し不思議だった。
私は、少し前にその一行にすでに会っていた。それはロマンスロードに面した海岸のところでだった。海岸といっても、断崖の上で、そこから見下ろすと沖縄の透明な海がよく見渡せた。
彼女たちも海を見下ろしていた。近くに車を駐車していて、皆歩いて断崖の上まで来ていた。そのとき、一行のなかの案内役とおぼしき女性が、魚が見えると言い出した。私たちもそのすぐ近くにいたので、海を見下ろしてみたが、魚の姿をうまくとらえることができなかった。それは案内役の女性に連れられた3人の女性についても同じようで、彼女たちは口々に見えないと言っていた。
すると案内役の女性が手を叩いた。そうすると魚たちが寄ってくるというのだ。彼女は、連れの女性たちに対して、魚が寄ってきているだろうと、その方角をさした。けれども私たちには魚の影はほとんど見えなかった。一瞬見えたような気もしたが、それが本当に魚だったのかどうかは定かでない。
案内役の女性からは不思議な印象を受けた。もしかしたら、その女性は霊的なことを司る霊能者なのではないか。私は直感的にそう思った。沖縄では、民間の霊能者のことを「ユタ」と言うが、そのユタにあたるような人間なのではないか。その直感は、クボー御嶽前での出来事で裏づけられたような気がした。
女性たちの一行は、最後まで車を降りないまま、そこを立ち去ろうとしていた。そのとき、ユタとおぼしき女性は、車のなかから私に向かって、「そこには絶対入らないでください」と言ってきた。口調はかなりきつかった。私は「もちろん入りません」と答えただけだった。
彼女のことばは、クボー御嶽に住まう何ものかが彼女の口を借りて語りかけてきたものだったのではないか。私には、そんな気さえした。私と彼女がクボー御嶽の前で鉢合わせをすることは、その何ものかが書いた筋書きにしたがってのことだったのではないか。彼女は、私がただの観光客ではないと直感したに違いない。
私は、車が立ち去った後も、御嶽の前にしばらくたたずんでいた。女性のことばはクボー御嶽を、私に対して「封印」するものであるように感じられた。このクボー御嶽に限らず、聖地という空間が私の前で閉ざされ、封印されたかのようにさえ感じられたのである。
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以上、島田裕巳氏の近刊『日本の8大聖地』(光文社知恵の杜文庫)から再構成しました。日本の聖地の知られざる謎に迫ります。
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