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創業350年の蔵元を知識ゼロで引き継いだ男が、家業を再興するまで
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.02.27 16:00 最終更新日:2019.02.27 16:00
7年前のある日のこと。胸元の携帯が鳴り止まない。商談を終え、かけ直すと、「お父さんが肝臓ガンで余命3カ月と告げられた。すぐに戻ってきてくれ」と言われ、頭の中が真っ白になる。
今西酒造十四代目の今西将之さんは、当時、大手人材サービス会社の社員として東京で働いていた。
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「いずれは跡を継ぐつもりでした。ただその前に違った世界で社会人として修行しようと思っていたんです。代替わりはずっと先のことだと考えていました」
残務整理や引き継ぎを終え、家業へ戻って1週間で先代は亡くなった。なんの準備もないまま、28歳の今西さんは会社経営を引き継ぐこととなる。
「社員も取引先も銀行も、すべてが『初めまして』でしたからね。流通の仕組みもわからず、五里霧中でした」
当時の今西酒造は、レストランや宿泊業も兼業していた。このころはすべての業態が芳しくなく、経営状態もよくなかった。
「多額の銀行借り入れを抱えていて、さすがに焦りました。毎日が暗闇の中をジェットコースターで駆け回るような日々でした」
手探り状態のなか、まずは酒造以外の部門を売却。酒造業に事業集中したうえで、既存の取引先への営業に走り回った。
「大卸といわれる大手を回ったんですけれども、『いくら値引きできるんか? 協賛は?』といった話ばかり。『酒への愛を感じず、なんておもろない業界なんや』と感じました。
でも、地酒を専門に扱うショップに飛び込んだとき、『こんなまずいもん、売れるかい!』と怒られたんです。
心が震えました。『こんだけ、酒に真摯に向き合ってお客さんに伝えようとする売り手がいるんだ。僕はこんな人たちと一緒に人生を賭けて酒造りに邁進したい』と思ったんです。
同時に、このままの酒質ではいけない。早急に酒質を向上させなくては、と危機感を覚えました」
危機感はあるものの、どうしたら美味しいお酒を醸せるのかがわからない。そこで、全国の銘醸蔵を回って教えを乞うた。お金がないので、カプセルホテルや漫画喫茶に泊まりながら……。
結果、丁寧な酒造りをするための設備を一新し、酒造りに情熱あふれる仲間を迎え入れた。効率化をいっさい無視し、醸造工程にひと手間ふた手間かけることを徹底した。
「クオリティが向上し、さまざまなコンテストでトップの賞を取ることができるようになり、世界中から引き合いが来るようになりました。
でも、量産化には走りません。味わいが大切。今年からは、酒蔵近くで自営田を持ち、米作りも始めます。
私たちの蔵のある三輪という町には、酒の神様を祭る大神神社があり、まさに酒の聖地。この土地にいっそうフォーカスし、三輪を表現した酒造りに磨きをかけていきます」
社訓を伺うと、「すべてはお客様の笑顔のために」と言い切った。
「『みむろ杉』のクオリティを毎年向上させ、お客様に喜んでもらう。全スタッフがスクラムを組み、酒造りに向き合うチームづくりに心を砕いています」