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人に幸福感を与える生物学的な仕組みは、たった3つだけ

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.09.26 16:00 最終更新日:2019.09.26 16:00

人に幸福感を与える生物学的な仕組みは、たった3つだけ

 

 人間も所詮、動物である。高度な認知能力を持ち、複雑な言語や道具を操るとはいえ、生物学的な基盤によって生命や種の維持を行なっている。

 

 たとえば、幸福になるという一事をとってみても、生物学的な仕組みを超えることはできない。では、そもそもわれわれが幸福になるために、どういう生物学的仕組みが備わっているのだろうか。

 

 

 生理的な満足や快感から、精神的な充足感や達成感まで、喜びや満足の種類も幅広いように思えるが、人に喜びや幸福を与える生物学的な仕組みは、実は3つしか存在しない。

 

 1つは、お腹いっぱい食べたり、性的な興奮の絶頂で生じるもので、エンドルフィンなどの内因性麻薬(脳内麻薬)が放出されることによって生じる快感だ。生理的な充足と深く関係し、われわれが生きることに最低限の喜びを与えてくれる。

 

 2つ目は、報酬系と呼ばれる仕組みで、ドーパミンという神経伝達物質を介して働いている。大脳の線条体の側坐核と呼ばれる部位で、ドーパミンの放出が起きると、人は快感を味わう。

 

 ドーパミンの放出が起きるのは、通常、困難な目的を達成したときだ。サッカーのゴールの瞬間や、麻雀でロンをした瞬間にドーパミンが放出され、「やった!」という快感になる。数学の問題を解けたときとか、マラソンを完走したときも、このタイプの喜びが生じることにより、再び努力して、次の目標を達成しようというモチベーションが生み出される。

 

 ところが、この報酬系は、しばしば悪用される。面倒な努力抜きで、ドーパミンの放出だけ引き起こし、短絡的な満足を与えてしまえば、強烈な快感を手軽に得られるのだ。

 

 その代表が、麻薬である。アルコールのような嗜癖性のある物質も、ギャンブルのようなやみつきになる行為も、ドーパミンの短絡的な放出を引き起こすことで、依存を生じさせる。

 

 もう一つ、喜びを与えてくれる仕組みが存在する。それが愛着の仕組みである。こちらはオキシトシンの働きに負っている。愛する者の顔を見たり、愛する者とふれあうとき、興奮というよりも安らぎに満ちた喜びが湧き起こるのだ。

 

 オキシトシンは、もともと授乳や分娩を引き起こすホルモンとして知られていた。どちらかというと原始的なホルモンという扱いで、ストレス・ホルモンとして知られる副腎皮質ホルモンなどと比べても、軽んじられてきた。

 

 ところが、20世紀も終わり頃になって、オキシトシンの意外な働きが次々と解明される。育児や世話といった母性本能に関わるだけでなく、絆を維持することに必須の役割を果たしているということだった。

 

 オキシトシンがうまく働かないと、特別な結びつきは失われ、つがい関係が壊れたり、育児放棄をしたりするということが起きるのである。

 

 さらに、オキシトシンには、ストレスや不安を和らげる作用があることがわかってきた。愛着の仕組みは、愛する者とのふれあいによって活性化されるが、オキシトシンの働きが活発になることで、外界からのストレスにあまり不安になることもなく、わが身や家族を守ることができるのである。

 

 喜びを与えてくれる仕組みは、実はこの3つしかない。あとはつらいことばかりなのだ。この世のありとあらゆる試練や苦痛の代わりに、われわれに与えられている喜びは、それだけである。

 

 頑張っていた優等生やエリートが学業や仕事でつまずいたとき、家族の優しい慰めといたわりによって、立ち直ることができるのは、ドーパミン系の報酬を得ることに失敗しても、オキシトシン系が与えてくれる慰めや喜びによって、それを埋め合わせることができるからだ。

 

 ところが、愛着の仕組みもうまく機能していないと、どうなるか。

 

 傷ついた思いを癒やす方法としては、食べることや性欲を満たすことで紛らわすか、短絡的にドーパミンの放出を生じさせる物質や行為にのめり込み、代償的な満足を得るかしかない。

 

 親から無条件の愛情を与えられずに、不安定な愛着を抱えた人は、オキシトシン系の充足が不十分にしか得られない。そこで、頑張ることによって目標を達成し、周囲からも認められることで自分を支えようとする。そのプロセスがうまくいっているときは、オキシトシン系の不足を、ドーパミン系の充足で補っているわけだ。

 

 ところが、頑張って結果を出すという戦略がつまずいてしまったとき、喜びを与えてくれるのは、食べたりセックスしたりという生理的な快感か、麻薬や嗜癖的行動によって、ドーパミンを短絡的に放出させるという手段しか残っていない。

 

 人はこの世の苦痛に耐え、生きていくために、何らかの喜びを必要とする。その喜びを与えてくれる最終手段が、過食やセックス依存、薬物やギャンブル、ゲームにおぼれることなのである。それは、努力して達成感を味わうという本来の喜びではないが、生きるために必要な喜びなのである。

 

 ただ、短絡的な充足は、耐性を生じ、同じだけの喜びを得るためには、もっと強い刺激を必要とするようになる。それが、ときには健康を害し、破滅の危険に身をさらさせることにもなる。そう考えると、本当の満足を与えてくれる唯一の仕組みは、オキシトシンを介した愛着の仕組みだけなのかもしれない。

 

 

 以上、岡田尊司氏の近刊『死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威』(光文社新書)をもとに再構成しました。「愛されず、愛せなくなった」社会、「世話をしなくなった」社会で、
生きる意味を見出す術はあるのか。

 

●『死に至る病』詳細はこちら

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