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先人たちの「セカンドキャリア成功談」定年後も顧問で現役
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2020.03.30 16:00 最終更新日:2020.03.30 16:00
「人生100年時代は楽しい!」……ばかりではない。定年後も、“自分たちの生活費を、自分たちで稼がなければならない” 世の中になっているのだ。せっかくだから、再雇用などといわず、「第2の人生」に踏み出したい……。いち早く、そんな道に踏み出した先輩に、成功のコツを聞いた!
「竹内さん、助けてくれませんか」
竹内嘉彦さん(75)は退職のたび、そんな声とともに新しい職場に迎えられてきた。
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千葉大学の建築学科を卒業後、建設会社を経て旭硝子(現・AGC)に入社。以来、一貫して商品開発部門の技術者として働いてきた。
「61歳で定年になり、普通はそこで『さよなら』ですよね。でも、定年の挨拶まわりで別の会社の人と飲んでいたら、『ぜひ来てくれ』と。
そこで面接に行ったら、昔からの知り合いが社長になっていて、4年契約で週3日、行くことになったんです。定年の翌日には、その会社に籍を置いていました。このときが『助けてよ』と言われた最初です」(竹内さん)
4年後、その会社を辞めたとき、やはり挨拶回りの酒席で、国土交通省の外郭団体である一般財団法人に籍を置いていた、AGCのOBと出会った。そこは、JIS(日本産業規格)の審査をする機関で、竹内さんの経験や知識を求めていた。
「竹内さん、うちを助けてよ」
このときも、このひと言で新しい仕事を得て、年に5~6件、全国の工場などへ調査に行く仕事を今も続けている。
並行して、オーダーミラーのメーカーの技術顧問を、8年以上続けている。ここにも、昔からの知人の「助けてよ」のひと言で、月1~2回通うようになった。
さらに、高齢者向けの派遣事業をおこなっている会社に登録し、外勤補助作業の仕事もしている。作業員の車に同乗し、作業員が車を離れている間の駐禁対策として、車で待機するもの。週1度の勤務だ。
「この会社は、『あと2年、77歳まで働いてもいいよ』と言ってくださっているんですが、私の健康状態もありますしね」(竹内さん)
75歳にして現役でいられる理由を、みずからこう分析する。
「現役時代に培った技術力、知識と築いてきた人脈。定年後の仕事を得るには、この3つがものを言うんですね」(同前)
(週刊FLASH 2020年3月24日号)