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津軽三味線・吉田兄弟「求む!歌い手のスター」文化の継承はけっこう困難/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2023.11.12 16:00 最終更新日:2023.11.12 16:00
いま、海外では空前の日本ブームが起きています。昨年の入国者数は約420万人でしたが、コロナが落ち着いた今年は、それを上回る勢いで観光客が訪れています。日本という国は、外国人から見ると不思議な魅力にあふれているそうです。しかし、当たり前にあると思っている日本文化は、たくさんの方々の継続的な努力によって支えられている点を忘れてはなりません。
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今回は、10月25日におこなわれた「ハーバー無添加スキンケアメイクリニューアル発表会」の日本伝統文化とメイクのスペシャルライブショーで、津軽三味線の迫力ある演奏を披露した「吉田兄弟」にお話を伺いました。
兄の良一郎さんと、2歳年下の弟・健一さんのお2人で、1999年、「吉田兄弟」としてデビュー。2003年には全米デビューを果たし、世界各国で演奏活動を続けています。
――今日の演奏はいかがでしたか?
健一さん(以下、健)「生花とメイクとのコラボレーションの演奏は初めてだったのですが、どきどきしながら共演を楽しむことができました」
――お2人とも5歳から三味線を習われたそうですね。
良「はい。津軽三味線が大好きだったのにプロになれなかった父が、子供たちに夢を託したのです」
――津軽三味線の英才教育を受けられたのですか?
健一さん(以下、健)「それほどでもないです。最初の頃は、出されるおやつが楽しみで、週1回、稽古に通っていました(笑)」
良「小学校高学年までは、やめたいと思っていました。でも、言えなくて、いまに至っています(笑)。転機は、中学校のときに全国大会に出るため、本格的に練習を始めたことです。競う面白さが出てきました」
健「1998年、トップクラスの奏者が集う大きな大会で優勝し、これからどうするか、目標を考えるようになりました」
――『吉田兄弟のお2人です』とまとめて紹介されることが多いようですが、お2人の個性を教えていただけけますか?
良「まず、髪型が違います(笑)。活動としては、私のほうは19歳で上京し、浅草の民謡酒場『追分』というお店で、住み込みで修業していました。民謡歌手が歌って、その伴奏を担当していたのです。ときどき、東京で演奏会などのイベントがあるときは、弟を呼んで2人で演奏することもありました」
健「高校2年生のとき、将来のことを考えて、私は地元の活動の場を守るため北海道に残ったのです。ところが、歌があってこそ成立する演奏なのに、肝心な歌い手が北海道にはいなかったのです。
それで、パーカッションなど他の楽器とのセッションという道に進みました。このあたりで2人の異なるカラーが出てきました。ちょうどその頃、デビューの話が来たのです」
――デビューのーきっかけは?
健「兄が21歳、私が19歳のときでした。2002年から、中学校の選択授業で和楽器が入ったのです。学校で演奏する奏者が必要だったので、年齢的に近い私たちが選ばれたのだと思います。一般的な売り出し方とは違いましたね。小学校から大学まで全国の学校をまわって演奏しました。メディアへの露出が増えてきたのもこの頃です」
――子供や若者たちのリアクションはいかがでしたか?
良「演奏後の感想文で、子供たちがみんな『かっこいい』って書いてくれたのです。自分たちの小さい頃とは、伝わり方が変わったと感じました」
健「そうそう。小さい頃は、年配の人の楽器という印象が強かったので、クラスメイトから冷やかされました。デビュー後、タワーレコードなどでライブをやりましたが、初期の頃は店内にゴザを敷いて客席を作りました。
その頃、若者は後ろで立って見ていたのですが、テレビに出演するようになってから、状況が一変しました。若者がどんどん前に出てきてくれるようになりました」
――明らかに人気が出てきたと感じたことは?
健「2000~3000人ほど収容できるホールが、連日満席となったときに実感しました」
良「民謡のCDは1000~2000枚売れたら大ヒットと言われていますが、初のCDが10万枚の売り上げを達成したときです。そして、2003年には、全米ツアーが始まり、アサヒスーパードライのCMも決まりました」
――アメリカでの反応はいかがでしたか?
健「アメリカでは、原点に返って、こつこつとショップでのライブを続けました。嬉しいことに、いつも演奏の後には、CDを買うお客さまの行列ができました」
良「向こうはあからさまで、わかりやすいです。事務所みたいなところで衣装に着替えるのですが、演奏前はひどく邪険に扱われたりします。でも、演奏後はCDが売れるので、態度が変わって優しくなるんですよ」
健「レコーディングも含めて3カ月ほどロサンゼルスに滞在しましたが、スタジオで、ミックジャガーやマルーン5に会えたりして、アメリカンドリームを感じました。自分たちもグラミー賞やアカデミー賞を意識するようになりましたね。
日本にいると常にアウトプットしている状態だったので、枯渇していくように感じましたが、海外ではインプットが多いので、作品を作るうえで貴重な経験ができました」
良「メンタルが強くなりました。日本だとお客さまの反応も予想できるのですが、海外ではどこで拍手が来るかもわかりません。クラッシックのように、最後まで静かに聞いてから拍手されるときもあります」
――お2人の趣味を教えてください。
良「趣味は特にないです。遊びも津軽三味線のオタクです」
健「外車好きで、アウディに乗っています。関東から四国までドライブしたりしますよ。車内は音楽を聴くリラックススペースです」
――来年はデビュー25周年で、ツアー「47+1都道府県ツアー 吉田兄弟-極生-」で日本全国をまわるそうですね。
良「民謡は後継者が減っているという大きな問題を抱えていますが、民謡のステージを見る機会が増えるとプラスに働くと思い、未来を考えながら活動しています。何年か後に、この日本の伝統文化が廃れてしまっていいのかとみんなに問いかけたいです。
幸い、津軽三味線奏者は、近年増えてきましたが、歌い手や職人の数が減っています。自分たちの音を作ってくれる人がいなくなってきているのです。ですから、日本の伝統文化の継承という大きなミッションを掲げて全国を回ります」
健「民謡は、いまでも日本のお祭りなどで幅広い層の人たちに楽しまれていますが、将来を考えると、自分たちが頑張らないとジャンルとしてなくなってしまうのではないかという危惧もあります。
早稲田大学の津軽三味線サークルには、現在100人以上の奏者がいて、一つの流派になるくらい大きくなっています。しかし、いま歌い手のスターがいないのですよ。これから出てくるといいなと思いますね」
■民謡を楽しむための3カ条
(1)固定観念をなくし、まずは和のテイストが入った音楽やステージを観たり聴いたりしてみる
(2)ふるさとのお祭りや盆踊りに参加して、身近にある民謡を探してみる
(3)手拍子をしたり踊ってみたり、音楽に合わせ自由に表現してみよう!
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も
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