芸能・女子アナ
岩田絵里奈アナ、“借金返済アイドル”だった中学生時代…ビートたけし、所ジョージがベタ惚れする “大物キラー”の原点
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2024.05.23 06:00 最終更新日:2024.05.23 06:00
「あの……質感がいいね!」
2018年10月7日、『シューイチ』(日本テレビ系)で中山秀征からこう声をかけられていたのは、同局の岩田絵里奈アナだ。当時新人アナウンサーだった岩田アナはこの日、同番組のエンタメキャスターとして初登場。すでに「ヒデちゃん」から独特のお墨つきをもらっていた。それから5年半ーー岩田アナは4月から、『シューイチ』の3代めMCに就任したことで、注目を集めている。
「彼女がMCになってから、視聴率は上昇傾向です。番組の進行がうまく、自分のトークを絶妙なタイミングで入れてくるのが強み。出しゃばりすぎず、爪痕はしっかり残す。ときには、大食いで体を張ったロケもおこなう肝っ玉の大きさを見せ、日テレのバラエティ担当アナとして『ポスト水卜麻美』と評されることも多い」(テレビ局関係者)
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2018年入社直後に『世界まる見え!テレビ特捜部』(日本テレビ系)のMCに抜擢された岩田アナだが、当時から番組で共演した大御所の心を掴んでいた。
「ビートたけしさんや所ジョージさんは、『新人とは思えない場慣れ感』などと大絶賛していました。また、2021年3月末から司会を務めた『スッキリ』では、加藤浩次さんと共演し、イジられキャラとして愛されました。新人時代からたけしさんや所さんの懐ろに飛び込む “大物キラー” な女子アナは、今後そうそう現われないんじゃないですか」(同前)
そんな岩田アナだが、じつは、2018年の “初鳴き” から遡ること8年前、中学2年生のときに、すでに「デビュー」を済ませていたというのだ。その舞台で、すでにおじさんキラーぶりの片りんは見せていたーー。
1995年、横浜で生まれた岩田アナは、父が神奈川県内の有名病院の院長という “ご令嬢” だ。そんな岩田アナを「借金事件」が襲ったのは、中学生のころだった。アイドルライターが、当時の事情を明かす。
「岩田アナは中学1年時に、芸能事務所にスカウトされました。しかし、当時は医者志望だったため、芸能活動は断わっていたといいます。そんなとき、携帯電話で楽曲を大量にダウンロードしていたところ、数十万円を請求されるという “事件” が起こったそう。このことに両親が激怒して、その借金返済のために芸能活動を始めたのです」
本誌は、岩田アナが芸能活動をスタートさせた際の舞台映像を入手した。モデルやアイドルたちが歌を披露するイベントで、岡崎歩美の芸名でステージに立っていた。
司会の松崎しげるに自己紹介を促されると「岡崎歩美です。中学2年生の13歳です。よろしくお願いします」と、緊張した面持ちで話す岩田アナ。松崎から「お客さんの目をしっかり見てね」などと声をかけられる。その後、彼女はアイドルソングを1曲、簡単な振り付けを交えて歌い上げたのだが……。
「お客さんは、かなり心配そうに岩田さんの歌唱を見守っていた記憶があります。じつは、その舞台が彼女にとって芸能界デビューの “お披露目” の場だったんです。最初の仕事が、大勢のお客さんの前で歌うことだったのですから、緊張するのも当然ですが、それにしても動きや表情が硬すぎましたね(笑)。ほかの出演者と一緒に舞台に上がったものも含めると、同イベントで計3曲のステージに出演していました」(前出・アイドルライター)
◼︎泣き虫アイドルは「幻のミス慶應」に
松崎は彼女の様子を「岡崎さんが歌っているときにね、お客さんがこう…笑顔になって首を揺らしている」「まさにね、天使の歌声というかね……」などとベタ褒めしていた。
「このステージの直後、舞台裏では岩田さんは緊張からか、共演していた大政絢さんに抱きついて涙を見せていたそうです。公演後の打ち上げでは、『すごい不安だったんですけど、すごい楽しかったです』とひと言だけ挨拶をし、それが終わるとまた涙。それを見て先輩たちが『かわいかったよ~』と岩田さんを抱きしめて慰めていました」(同前)
涙もろい一面を見せていた中学2年生の岩田アナだが、彼女の快進撃はここから始まった。2010年には、ドラマ『ニコニコ少女』(BS−TBS)で主演を果たし、それ以降も三菱電機をはじめ、いくつもの広告に出演した。慶應義塾大学入学後は、ファッション誌「CanCam」(小学館)の読者モデルを務め、ミス慶應コンテストのファイナリストにも選ばれた。
「岩田さんは『幻のミス慶應』として有名ですよ。コンテストの主催団体の不祥事のために、その年のイベントは中止に。開催されていたら、間違いなくグランプリになっていたといわれています。
タレント業に区切りをつけて大学に入学したものの、医師だけでなくミスコンも諦めざるを得なかった彼女が、自分で選択した職種が、大好きなテレビだったんです。彼女がこの業界を目指した理由は、子供のころに落ち込んだときにテレビを観て明るくなれたからだといいます。局内には、彼女の人気の高さから『電撃寿退社』を心配する声もありますが、本人は結婚してもテレビから離れるつもりは毛頭ありません。彼女が多くの大物共演者を虜にしてこられたのも、そんな覚悟が伝わってくるからではないでしょうか」(前出・テレビ局関係者)
「泣き虫アイドル」から新エースアナに。快進撃はまだまだ続く!