アメリカ凶悪犯罪の専門家である阿部憲仁氏が、伝説の大量殺人犯に会いに行く!
【事件概要】
ドナルド・ハーヴィー(Donald Harvey、1952年4月15日~)
1970年から1987年にかけて、看護助手をしていた病院で、少なくとも37人の入院患者を窒息や投薬により殺害(本人は87人と主張)。その理由は、被害者はいずれも数日で死ぬ運命にあった重病人で、苦しみから解放するためだったと、いまでも正義によるものと主張している。自称「死の天使(Angel of Death)」。当時、裁判が行われたオハイオ州には死刑制度はなかったため、現在28回分の無期懲役刑をアレン刑務所で務めている。
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アレン刑務所は、建物入り口の待合室から面会室までわずか20メートルくらいしか離れていなかった。その間にはたった2つの自動ドアがあるだけ。面会室は、1階にもかかわらず、学校の教室のような窓がついており、その窓は直接外の駐車場に面している。私はこれなら誰でも脱獄できるのではないか、とふと疑問に思った。
だが、人間は、ある一定の環境にしばらく置かれると、そこでアイデンティティーを定着させてしまうため、おそらく囚人たちも「脱走できない」と思い込まされているのだろう。私は、ハーヴィーを待つ間、ボンヤリとそんなことを考えていた。
ずいぶん待たされて、ようやくハーヴィーが来た。黄土色のセルロイドメガネをかけた華奢な男で、妙に落ち着いた雰囲気だった。私のことをじっとりとした眼差しで見ると、「昨日ずっと、来るかと思って準備してたんだけど」と咎めるように言った。
私が飛行機の欠航の経緯を説明すると納得したようで、クールな笑顔を見せた。ついでに「刑務所の人はみんな親切に対応してくれて助かったよ」と言うと、まるで自分の身内が褒められたかのように満足げな表情となった。
「ちょうど1週間前に母とおばさんが面会に来たんだよ。きっと君が幸運をもたらしてくれたんだと思うよ」
と嬉しそうに言う。
ハーヴィーはメガネの厚いレンズの向こうからジッと見ながら話をする。彼はゲイなので、手紙ではしばしば性的なことを書いてきたが、面会では変にベタベタしてくる様子はない。
母親の話が出たので、さっそく、前から思っていた疑問をぶつけてみた。ハーヴィーは手紙で、「いつも理想的な子供でいなければならないのは苦痛だった」と書いていたのだ。
――お母さんやおばあちゃんから心理的な虐待を受けていたっていうのは本当なの?
「ウチは母親と祖母が2人とも強い家庭だったんだ。もっとも当時はどこの家庭も皆しつけが厳しかったけど。ただ、親たちが僕の言うことを聞いてくれないことがわかってくると、だんだん自分の方から無理な衝突を避けて、一人で遊ぶようになったんだ」
ハーヴィーは、私への手紙に「親からのストレスだけでは決して連続殺人に至ることはなかった」と書いてきた。では、本当の原因は何か。実は彼は、4歳から20歳まで自分よりも2、3歳年上の叔父から継続的に性的虐待を受けている。
――もし叔父さんの件がなかったら、殺人行為に走ったと思う?
「僕はもしもこうだったら(What if…?)とは絶対に考えないようにしているんだ。もう起きてしまったことは変えようがないからね。受け入れるしかないんだ」
と、叔父に関しては、頑なな姿勢を崩さない。これは手紙でも同様だった。直接的な訊き方ではやはり駄目なのかと思い、少し角度をずらして質問を続けることにした。
■ヒヨコをナタで真っ二つに
ハーヴィーには有名なエピソードがある。
子どもの頃、ヒヨコをもらってきて母親に飼いたいと頼んだのだが、母は「近所に猫が多いからダメ」と認めなかった。それで、ハーヴィーはそのヒヨコをナタで真っ二つに斬り殺してしまうのだ。
――ヒヨコの話は本当?
「飼ってはいけないって言われたのは本当だよ。でも、一度親鳥から引き離して人間の匂いがついてしまうと、親鳥はそのヒナの面倒を見なくなるって聞いたから、殺してあげるのが一番いいって判断したんだよ」
ハーヴィーは、ヒヨコの話を話すと、そのまま病院での殺人についても語り始めた。
「患者を殺したのだって、それが彼らにとって幸せだと思ったからなんだ。少なくともそのときはそう思っていた。どうせ余命長くない人たちばかりだったからね。回復の見込みのある人は絶対に殺さなかった。僕は行為に及ぶ前、患者のカルテや検査結果を徹底して調べ上げたからね。もうすぐ死ぬ患者だけ、そのみじめな状態から救ってあげたわけ。正しい判断でしょ」
ハーヴィーは、以前、手紙の中で「自分には、穏やかで優しい面と、一度心に決めてしまうと絶対に揺るがない冷たい面がある」と書いてきた。
これはコンバートメンタリゼーション(切り捨て)と呼ばれ、一度自分なりに「正しい判断」を下してしまうと、殺人を含めあらゆる行為が可能になるという心のメカニズムである。多くの連続殺人犯がこの精神メカニズムを意図的に使うことで殺人行為を繰り返す。
彼の場合も、実際の動機は何であれ、頭の中では、相手を殺害することが「正義」だと処理していたからこそ、20年近くにわたって殺人を繰り返すことができたのだろう。
面会は、まるで入院している友人の見舞いに来ているような雰囲気だった。だが、与えられた時間があまりに短く、また隣の面会者のテーブルとあまりに距離が近すぎるため、残念ながら、殺人に直接関係する核心部については切り出すことができなかった。
私は忸怩たる思いで「じゃあそろそろ帰るね」と伝え、何気なくハーヴィーに「あそこに止まっている白のクーペが僕のレンタカーなんだ」と言った。
すると、「受刑者は外を見てはいけないルールになっているんだ」と言いながら、私のことをじっと見て、「一度会ったから、もうこれで君の顔を忘れることはないよ」と笑うことなくつぶやいた。
■相手の生死を神のようにコントロールする
ハーヴィーとは、その後も手紙でやり取りが続いた。《会って言えないことも手紙だといろいろ言える》からと、手紙には具体的なことがいろいろ書かれていた。
たとえば性的虐待を受けた叔父については、こう記してあった。
《性的虐待はイヤでイヤでしょうがなかった。でも、途中から立場が逆転したけどね。僕がコントロールする側になったんだ。まだ一方的に虐待を受けていた頃から、僕がどんなこと考えていたか知ってる? 表向きは彼にコントロールされているフリをして、実際には決して彼の好きなようにはさせないって。十中八九は僕が望んでいるように彼をコントロールできた。》
続けて、連続殺人の動機についてもハッキリと書いてあった。
「相手の生死を神のようにコントロールすること」が目的だというのだ。以下、その部分を掲載する。
《僕は患者たちに対して「神」を演じていたんだ。
18から犯行を始めて、最初の1年間で13人殺した。最初の1人を殺してからというもの、まるでジェットコースターのようだった。
とにかく捕まらないように、ただそれだけを考えていたよ。
そして最終的にはトータルで87人に対して神を演じたんだ。僕は彼らの運命を完全に支配する力を持った。誰にも知られることなしにね。
夜眠れないようなことはなかったかって? 一度もなかったよ。神を演じるってことは完璧な結果を生み出すことだからね。》
けっして自分の意見を聞いてくれることのない高圧的な母親と祖母の下での鬱憤。逃れることのできない叔父による性的虐待への強烈な怒り。
こうした自分ではコントロールできない抑圧的な環境に、成人する頃まで置かれたハーヴィーは、今度は病院という身近に弱者が存在する環境で働くことで、それまでの自分の立場を完全に逆転させ「神」というアイデンティティーを定着させた。そして、抵抗できない患者たちを次々と殺害した。
彼の取った行動への理解が深まるにつれ、今年相模原で起きたあの凄惨な事件のことが頭によぎるのだった……。
(2013年3月3日訪問)