官房長官として、大きな影響力をもつ菅義偉氏(64)。人呼んで〈安倍内閣の危機管理人〉。第一次安倍政権でも総務大臣として入閣していたが、ここにきて「一挙に知名度が出た」(本人談)。無派閥ながら、首相の再度の擁立に誰よりも奔走し、いまや最有力の側近として内閣を取り仕切っている。
「官房長官にとっていちばん大事なのは、問題だとか状況によって、番頭型、ブレーン型、女房型、黒衣型といった役割を臨機応変に果たせるということです。党内や閣内の全体を見回して状況を掌握する必要もあるし、総理に進言しなければならないときもあります。あそこ(官邸)にいると、いいことしか耳に入らなくなりますから」(菅氏・以下同)
菅氏が叩き上げの立志伝中の人物であることはつとに知られている。集団就職で上京し、ダンボール工場に就職。築地市場でアルバイトしながら法政大学を卒業、民間企業を経て、小此木彦三郎元通産大臣の秘書となる。
「その後、横浜市議に立候補するのですが、世代交代への反発や世襲問題などがあり、なかなか自民党の公認を取れなくて。政治のいやらしいところ、自民党の悪い部分を全部見ました。これが私の政治行動の原点です。何も怖いものがなくなりました」
市会議員を二期務め、衆院選出馬を決意し、’96年に国会議員に初当選。そのとき、すでに47歳になっていた。そんな“叩き上げ”の菅氏と“サラブレット”の安倍首相という、正反対の立ち位置について聞いた。
「それはすごく……いちばんよかったんじゃないですかね。総理には遠慮せず何でも言いますし、総理もよく聞いてくださいます。そういう意味で、よかった。総理と私は、政策理念がほとんど一緒なんですよ。安倍晋三という政治家は右翼的だとか、強硬派だとか、いろいろ言われていますけど、当たり前の国にしたいという思いが非常に強いだけなんです。“強硬一辺倒の安倍晋三”って見たことがないんですよ」
“総理との距離はまったくない”。菅氏はそう言い切った。そして取材中、菅氏は何度も繰り返した。
「ただ言えることは、常に裏方に徹することだと。総理を支えて、日本の置かれた状況、経済、金融、安全保障を再生させたい。そのために私たち、政権作ってるわけですから」
(週刊FLASH 2013年9月3日号)