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「“妖気” がすごかった」旧田中角栄邸が全焼…石破茂氏らが語る目白御殿の伝説「日本で起こるすべてはここで決める」

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2024.01.16 06:00 最終更新日:2024.01.16 19:56

「“妖気” がすごかった」旧田中角栄邸が全焼…石破茂氏らが語る目白御殿の伝説「日本で起こるすべてはここで決める」

焼失した旧田中角栄邸の母屋(写真・桐島 瞬)

 

「消防隊員が懸命の消火活動をおこなう最中、目白通りで着の身着のままの眞紀子さんを見かけました。延焼中の自宅には目もくれずに、携帯電話を操作していましたよ。相変わらず気丈な人だなあと感心しました」(近所の住民)

 

 1月8日、「目白御殿」と呼ばれた田中角栄元首相の旧自宅が全焼した。長女で元外相の眞紀子氏(79)の線香の消し忘れが原因だという。田中家の関係者が語る。

 

「眞紀子さんは、2023年末に都内で11年ぶりに記者会見をするなど、政界復帰が取り沙汰されています。現在の生活拠点は新潟ですが、年始から上京しており、目白で過ごしていたそうです」

 

 

 田中邸には政財界の大物が出入りし、昭和政治の一角を担った場所として知られる。

 

「1982年に中曽根(康弘)さんが自民党総裁になるとき、角さんに最後のお願いに行ったのは俺なんだ」

 

 元衆議院議員の笹川堯氏(88)はこう振り返る。

 

「俺は『中曽根康弘は男です。約束したことは必ず守ります』と角さんに伝えたんだ。そしたら角さんはバン! とテーブルを叩いて、『そうだ!』って。その言質を取ったんで、中曽根内閣が誕生したんだ」

 

 かつては、3000坪の敷地を有した目白御殿。「日本経済新聞」の記者だった片岡憲男氏(故人)の著書に、『田中角栄邸書生日記』(絶版)がある。大学時代、角栄邸で暮らした思い出を綴った自叙伝だ。

 

《目白通りに面した大きな鉄製の緑の門を入ると(中略)正面に見えるのが洋館風の田中事務所だ。事務所に向かって右手には、本宅につながる門と塀がある。本宅の正面玄関も洋風で、夜間は大きな木製の扉で要塞のようにふさいでしまう。

 

 本宅の玄関脇にはSPの待機部屋があり、その部屋の向かいが本宅の応接室になっている。このSP用の居室を含めて、眞紀子夫妻が同居するための増築前でも、本宅には和室の数が十以上あった。それ以外に食堂、納戸…》

 

 これが、都心の一等地に建つ個人の自宅であると信じられるだろうか。相続税支払いのため、敷地の半分以上を物納したとはいえ、目白御殿の歴史的遺産としての価値は計り知れない。希代の大宰相の邸宅は、どれほど豪奢なものだったのか――。

 

 だが、笹川氏から返ってきたのは、意外な言葉だった。

 

「いつも屋敷を入ってすぐ右の部屋に通されたけど、まったく豪華な部屋ではないよ。質素といってもいいかもしれない。増築を重ねたような家だよね」

 

 1980年に目白御殿で角栄氏をインタビューしたジャーナリスト・田原総一朗氏は、記憶を辿ってこう語る。

 

「彼が1974年に総理大臣を辞めてから、初めてのインタビューでした。100万円入りの茶封筒を渡され、翌日返すまでに大変な思いをしたことは強く印象に残っていますけど、家自体は昔のことで、覚えていないんです。広い家だな、とは思いましたけどね」

 

 共同通信記者時代に角栄番だった政治ジャーナリストの野上忠興氏(84)は、「豪邸だとは思わなかった」と言いつつ、角栄氏による “演出” について思い返す。

 

「彼は開放的で磊落で、いかにも “角さんらしい” 振る舞いをしてましたよね。ひっきりなしに来る陳情客に、池の鯉に餌をやる様子を見せて、写真を撮らせたりね。そこはなかなかのもんですよ(笑)」

 

 国会議員になる前、田中派の事務局に勤務していた自民党の石破茂元幹事長(66)も、その賑わいを覚えている。

 

「朝6時半に門が開くと、車やバスが入ってきてさ。20畳ぐらいある待合室は、大臣から市区町村長まで、いろんな人でいつも満員だったね。でも今、角栄邸で角栄先生と会った人間は、日本に何人いるのかな。政治家でも10人もいないんじゃないかな」

 

 そして、こう言葉をつないだ。

 

「だけど俺を含めて、心にはいつまでも角栄邸は残っている。あの待合室も、『田舎の公民館』みたいでまったく華美ではなかった。だけど、角栄先生は言っていました。『日本で起こるすべてのことは、この目白で決めるんだ』って。そういう場所だから、“熱気” や “妖気” がものすごかったですね」

 

 前出の笹川氏も、懐かしそうに語った。

 

「俺が訪ねて行くと、角さんは下駄履きで玄関まで見送ってくれたよ。義理と人情というかね、温かい人だよね」

 

 多くの歴史の舞台となった目白御殿は焼け落ちた。しかし、これからも国難に対して、我々は “田中角栄ならどうするか” と、その大きな存在を思い起こし続けるだろう。

( 週刊FLASH 2024年1月30日号 )

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