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日本の選挙ルール、どうしてこんなに厳しいの…缶のお茶はダメなのに湯飲みならOKの “謎しばり” も

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2024.04.01 11:00 最終更新日:2024.04.01 11:00

日本の選挙ルール、どうしてこんなに厳しいの…缶のお茶はダメなのに湯飲みならOKの “謎しばり” も

 

 日本では、選挙において、他の先進国に見られないほど厳しいルールが設定されている。

 

 公職選挙法は、「〜してはいけない」という禁止項目が並ぶ、いわゆる「べからず法」だが、選挙運動の時期、主体、方法について厳しく制限しており、特定の選挙運動についてのみ限定的に認めるという形になっている。

 

 そのため、投票依頼を目的とした戸別訪問の禁止、事前の選挙運動の禁止、ビラやポスターなどの「文書図画」の細かい制限に加え、未成年者の選挙運動の禁止、公務員の政治活動・選挙運動を禁止している。

 

 

 それも全く合理的ではなく、例えば、運動員を除いて飲食物や茶菓子の提供が禁止されているが、同じお茶でも、缶に入ったものはダメ、湯飲みならOKという謎なルールになっている。

 

 選挙期間中に第三者が公開討論会を開くこともできず、急に選挙日程が決まる衆議院選挙では、公示前に準備することは難しい。以前、筆者が代表理事を務める日本若者協議会が衆院選前に公開討論会を開こうとして、直前に断念したことがあった。

 

 選挙期間中は選挙カーが候補者の名前を連呼しているが、あれも法律で「連呼」しかできないと決まっているからである。

 

 放送法で、政治的公平が定められているため、公示後に、討論会を見ることもできない。こうして有権者が立候補者の情報を十分に得ることもできない。

 

 一方、有料広告に関してはルールが緩い。草の根での選挙運動を厳しく規制する一方、政治活動に分類されるテレビCMや新聞広告には制限がない。しかし、単価の大きい商業広告こそ、資金力の有無がものをいう。だからこそ、アメリカ以外の先進国では有料広告を規制している国は多い。

 

 厳しいルールが設定されている表向きの理由は、買収などの不正を防ぐためや、財力による不平等を防ぐためということになっているが、実際のところは、現職の候補者にとって有利だからである。

 

 有権者のためであれば、諸外国と同様に、政治活動と選挙運動を分けずに、原則自由にし、有権者と候補者が積極的にコミュニケーションを取れるようにすべきである。

 

 しかし現実的には、現職にとって有利なルール改正は積極的に進められており、選挙運動の期間は徐々に短縮化が進んでいる。今や、市長を決める選挙の期間は7日間しかない(戦後すぐは20日間であった)。

 

 さらに、世界で最も高い供託金も残っている。選挙によって金額が異なるが、日本では選挙に出るためには、供託金を出さなければならない。一定の得票率を獲得できれば、戻ってくるお金だが、国政選挙では選挙区で1人300万円、比例区だと1人600万円(名簿単独者の場合。選挙区と重複立候補者の場合は300万円)と、多額の供託金を用意できなければ、選挙に出馬することさえできない。

 

 当然、若者の方が資産形成の期間が短いためハードルが高く、資金力のある既成政党の方が有利になっている。

 

 その目的は、売名や泡沫候補の乱立を阻止するための制度となっているが、世界的に見ても、日本の供託金は突出して高い。多額の供託金が必要になるのは、日本の選挙制度を参考にした韓国と台湾ぐらいであり、他に供託金がある国は10万円程度である。

 

 アメリカやフランスなど供託金がない国も珍しくはない。カナダは2017年に違憲判決が出たため、連邦下院選で1000カナダドル(約10万円)だった供託金の制度を廃止した。

 

 そうした国の乱立防止策は様々だが、供託金制度を廃止したカナダでは下院選挙に出るには有権者100人の署名が必要になる。ドイツでも下院選小選挙区の候補者は立候補する選挙区の有権者200人以上の署名が求められる。

 

 アイルランドの下院選では選挙区内の有権者30人の署名を500ユーロ(約8万円)の供託金の代わりにすることができる。フランス大統領選では、国会議員や地方議員の署名500人分を集めることが立候補の条件になっている。

 

 署名制度は各国様々で、スイスなどのように、政党ごとに一律の基準で署名要件を課す国もあれば、デンマークなどのように、政党に属さない無所属の候補にのみ署名を課す国も存在する。

 

 カナダの裁判所は判決の中で、「真摯な候補者が供託金という財政的な理由によって立候補を妨げられている」と指摘し、供託金の制度が「立候補に対する重大な制限」に当たり、全ての市民が議員になる資格を得る権利があると定めた憲法に違反すると結論付けたが、日本でも見直す時期に来ているのではないだろうか――。

 

 

 以上、室橋祐貴氏の近刊『子ども若者抑圧社会・日本 社会を変える民主主義とは何か』(光文社新書)をもとに再構成しました。「子どもや若者は未熟な存在」とみなされ、「ブラック校則」などで徹底的に管理される現状を問います。

 

●『子ども若者抑圧社会・日本』詳細はこちら

( SmartFLASH )

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