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【阪神・淡路大震災から30年】田中大貴アナ「神戸は震災前の元気が戻っていない」被災者から “伝える側” になって得た矜持

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2025.01.16 06:00 最終更新日:2025.01.16 06:00

【阪神・淡路大震災から30年】田中大貴アナ「神戸は震災前の元気が戻っていない」被災者から “伝える側” になって得た矜持

田中大貴さん

 

 1995年1月17日、フリーアナウンサーの田中大貴さんは中学2年生だった。いつもどおり、朝になれば登校するはずだった。

 

「突然、家が左右に揺れました。『夢?』と思ったんですが、ダイニングからは皿が割れる音、そして父親の『こっちに来なさい』という、両親の寝室へ招く叫び声が聞こえたことで『これは夢じゃない。現実だ』と気づきました」

 

 下から突き上げる余震は収まらない。地鳴りもする。学校とは連絡が取れなかったので、田中さんは登校した。

 

 

「自宅の損傷はわずかでしたが、道路に出ると全壊、半壊の家が多くて地震の大きさがわかりました。教室には数人しかいなくて、先生から『今すぐ帰宅して、家族の安否を確認してください』と指示された覚えがあります」

 

 学校が再開されると、田中さんが通う学校は被害が少なかったことから転校してくる生徒が多く、廊下にも机が並べられた。

 

「転校生のなかには親を亡くしたり、家が倒壊してしまった人もいました。僕は、なんと言葉をかけていいのかわからなかった。こういったことは想像もしていなかったし、初めての経験でしたから。

 

 受験を控えた中学3年生のなかには、進学希望の高校が倒壊してしまった生徒もいて、僕たち2年生も『進学できるのか』『部活を続けていいのか』と思い悩み、ご両親が仕事を失った生徒などは『経済的に立ち行かなくなるのではないか』と、そんなことばかり考えていました。

 

 そうしたなかで、先生がかけてくださった『家族、親戚を大切にしなさい』という言葉ははっきり記憶に刻まれています」

 

 大学卒業後、フジテレビに入社した田中さんは「震災を伝える側」になった。被災体験が「アナウンサー田中大貴」にどのような影響を与えたのだろうか。

 

「阪神・淡路大震災では、被災者がメディアを受け入れる雰囲気になく、『取材するより手伝ってほしい』といった声が多かったように感じています。

 

 そうしたことから、新潟県中越地震、東日本大震災の現地取材に赴いたときも『被災者の方々とどの距離感で向き合い、どのように伝えるか』ということを常に考えるようにしました」

 

 田中さんの子供たちは、田中さんが被災したときとほぼ同年代になった。

 

防災に関してはよく話し合います。地震が起きたときの心構えや避難場所などです。

 

 僕自身は、神戸はまだ震災前の元気が戻っていないと思っています。伝える側のアナウンサーになったからこそ、みなさんにこれからも神戸が忘れられないよう、引き継ぐ作業をしていきたいと思っています」

 

たなかだいき
1980年生まれ。兵庫県小野市出身。慶應義塾大学を卒業後、フジテレビにアナウンサーとして入社。「とくダネ!」「すぽると!」「スポーツLIFE HERO’S」などを担当。2018年4月末にフジテレビを退社。現在はフリーアナウンサーとして活動。

( SmartFLASH )

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