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日本ボクシング連盟会長「山根明」恫喝支配の原点は舎弟時代に

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2018.08.07 06:00 最終更新日:2018.08.07 19:58

日本ボクシング連盟会長「山根明」恫喝支配の原点は舎弟時代に

カザフスタンの国際会議にて

 

「今回の告発には、証拠集めのために3、4年の時間がかかった。いろいろ調べると、よくまあ会長になったものだと思う。彼には二面性があった。半分、暴力団ですよ」(告発状に名を連ねた連盟元理事)

 

 元理事ら関係者333人がスポ ーツ庁などに告発状を提出した日本ボクシング連盟の問題。槍玉に挙げられているのは、山根明会長(78)の独裁ともいえる支配の実態だ。 

 

 

「国際ボクシング協会の会議に山根会長が出席した際、その写真をわざわざ冊子にして送ってきた。当時はまだ会長にもなっていないときなのに、自分の存在感を誇示するためだった」(元理事)

 

 ある暴力団関係者が、山根会長がかつて山口組系組織の舎弟だったと明かす。

 

「若いころは山口組系組織の若い衆だったという。その後、その組織の解散で山口組系小田秀組に出入りしていた。大阪を根城に活動していた。ただ、組に出入りしていたうちの一人だったが、正式に盃を交わしていたわけではない」

 

 ちなみに、国際ボクシング連盟の初代アジアコミッショナーは、山口組系直参組織の初代組長が務めていた。

 

 格闘技ライターの布施鋼治氏はこう語る。

 

「かつてのボクシングは、地元ヤクザが仕切る形で普及していた。試合はおもに草試合と呼ばれる興行。十数人で一座を組み、自ら運んだキャンバスで仮設リングを作る。もぎりやレフェリー、タイムキーパーなどを選手たちが交代で務め、巡業形式でサーカスのような興行でした」

 

 山根会長は、アマチュアボクシング担当記者に「若いころはプロで数試合やった」と話したことがあった。「息子の会社に、試合のときの写真を飾っていたのを覚えています」(同記者)という。

 

 ボクシング選手としての実績は定かでないが、山根会長が奈良県ボクシング連盟に関わっていったのには、あるきっかけがあったという。

 

「奈良のボクシング連盟と、暴力団関係者との間でトラブルが発生したとき、山根会長が間に入って解決したことがある。以来、山根会長は奈良の連盟でのし上がっていった」(プロボクシング関係者)

 

 いまや、ボクシング界を牛耳る独裁者として批判されている山根会長だが、彼の貢献を評価する声もある。 

 

「国際的にボクシング界は、マフィアなどが牛耳っていることが多かった。それに対抗して、日本のアマボクシング界の国際的な発言力を高めた。国際大会の試合で、日本人選手に不利な判定が下されることが続いていた状況を改善した、という点で評価されている」(ボクシング関係者)

 

 だが、「もはや山根会長の手法は通用しない」と告発者の一人は、こう話した。

 

「山根会長は副会長のころから豹変した。弱い者は徹底的に叩く。あの男が会長で東京五輪なんてやったら大変なことになってしまう」

 

 暴力団との関わりについてなど、日本ボクシング連盟に質問状を送ったが、締切りまでに回答を得ることはできなかった。今回の告発で、ボクシング界の隠されてきた面が露わになった。
(週刊FLASH 2018年8月21・28日合併号)

 

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