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大相撲はどうして国技になったのか、これが2000年の歴史だスポーツ 2016.09.18

写真・AFLO

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●古より日本に伝わる相撲、その姿は柔軟に変化を遂げてきた

 

 相撲のややこしさはその大食いが原点である。あらゆる時代、文化、なんでもバリバリと食って吸収してしまうのだ。相撲は古くは「素舞(すまい)」と表記された。それは神に礼し、邪を払い、鬼を追う舞踏であった。相撲の基本である四股とは、足で大地を踏みつけて地下の邪鬼(醜=しこ)を払う呪術だったのだ。

 

「素舞」を舞う者は言わば神の媒体であり、巨大であれば宿りやすいと考えられた。ここに力士の祖・チカラビトが誕生する。かくして相撲界は都合が悪くなると「神事」となるのだ。

 

「素舞」が「相撲」つまり「あいうつ」という格闘技に変身するのは必然だった。チカラビトはそのまま強力な兵士となるからだ。相撲の原型を作り上げたのは天皇家だった。日本を統一した天皇家は全国のチカラビトたちを集め、東西に分け相撲をとらせたのである。

 

 面白いのはチカラビトの姿だ。彼らはまず戦士姿で登場するが、天皇の前で武装解除し、ふんどし姿で戦ったのである。つまり各地の神が宿ったチカラビトたちの服属儀式。

 

 その相撲とは大和朝廷の日本征服の演劇的再現であった。演劇であるから旗はパタパタ、舞楽付きの派手な芸能大会だ。こうして相撲は時代、文化を全部その巨大な肉体にまとい、神事なのか格闘技なのか芸能なのかわからない世界を彷徨(さまよ)うことになるのだ。

 

●《紀元前》『日本書紀』に登場する日本最古の相撲取り

 

 第11代垂仁(すいにん)天皇の垂仁7年7月7日(紀元前23年)におこなわれた野見宿禰(のみのすくね)vs当麻蹴速(たいまのくえはや)の一戦が日本における相撲の起源とされている。

 

 当麻蹴速は大和国当麻村(現在の奈良県葛城市)に住む勇士で蹴り技の達人。向かうところ敵なしとの噂を耳にした垂仁天皇が「誰か戦える者はいないか」と臣下に尋ねたところ、出雲国の勇士・野見宿禰の名が上がりさっそく呼び出して試合をさせた。

 

 この日本最古の「天覧相撲」はなぜか壮絶な蹴り合いとなり、野見宿禰が当麻蹴速の肋骨と腰骨を折って蹴り殺してしまった。野見宿禰は当麻蹴速の領地を与えられ朝廷に仕え、たくさんの埴輪を作り代々天皇の葬儀を司ったことでも知られる人物だ。後の菅原道真や毛利元就はこの野見宿禰の子孫といわれている。

 

●《平安時代》平安時代の大相撲も基本はやっぱり左四つ!?

 

 相撲は日本の村々で農作物の収穫を占うための神事としておこなわれた。それを宮中が儀式として取り入れて「相撲節会(すまいせちえ)」として平安時代の初期に発展したといわれる。相撲がおこなわれるのは農閑期に当たる旧暦の7月。

「相撲部領使(すまひことりづかひ)」と呼ばれたスカウトが、国中の健児(こんでい)のなかから力自慢の相撲人(すまいびと)を集め、宮中の紫宸殿前の庭で取り組みがおこなわれた。現在のような東西ではなく出身地に従って左方、右方に分かれた。

 それぞれが髪に葵と夕顔の造花を挿して入場したことが「花道」のいわれである。まだ土俵はなく、相手を地面に倒さないと勝ちにならなかった。勝負がつくと「籌刺(かずさし)」という役人が勝ったほうの地面に矢を突き刺し、舞いを踊って勝鬨(かちどき)をあげた。

●《室町時代》けが人続出! これが土俵の起源「人方屋」

 鎌倉・室町時代になるとプロの相撲取りが出現し再び相撲が活況を呈する。織田信長も上覧相撲を開催して力士を抱える大名も登場しはじめる。

 まだ土俵はなかったがその原型が登場する。といっても見物人が輪を作っただけ。相撲を取る場所を「方屋」と呼んだので「人方屋(ひとかたや)」と呼ばれた。
 相手を見物人に投げ飛ばせば勝ちなのでけが人が続出。見物人が手で妨害するため喧嘩も絶えなかった。

 江戸初期になると4本の柱を立て俵を積んだ四角い土俵となり、その俵を地面に埋めた13尺(3.94メートル)の丸い土俵が誕生する。2重土俵で内側と外側の間に砂を敷き足が出たかどうか確認した。雨が降ると土俵に雨水が貯まるので後に水をかき出すためのすき間を空けた。これが徳俵である。現在の土俵は15尺(4.55メートル)である。

 

●《江戸時代》1940年(昭和15年)までは力水は杯で付けた

 

 四股を踏んだ力士が仕切りに入る前に口をすすぎ身を清めるのが力水(ちからみず)。現在は柄杓(ひしゃく)で力水をつけるが昭和15年までは朱塗りの盃で付けた。力水は一度しか付けないが昭和初期までは仕切り直すたびに水を付ける力士が多かった。それを「一度で十分」と改めたのが横綱の双葉山。それ以来一度になったという。

 

 力水を付けるのは前の取組の勝ち力士だが、負けた場合は控えにいる次の取組の力士が付ける。結び前に水を付ける力士がいない場合、付け人が着物を着て右肩をはだけて付ける決まりである。

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