■楽天入団当初は無口、無口、無口な男だった
田中はドラフトで4球団競合の末、2007年に楽天入り。当時、監督を務めていた故・野村克也氏の著書を中学生時代に読んでいたこともあり、浅からぬ縁だったのかもしれない。そのノムさんは生前、こんなことを言っていた。
「夏の甲子園決勝の映像を見て、優勝した斎藤と負けた田中のどちらが欲しいか、スカウトから聞かれたんだ。
俺は田中と即答した。体が大きかったし、伸びしろを感じたからな。新人投手はまず速球を見るんだけど、それ以上にスライダーに魅力を感じた」
入団1年め、ノムさんは田中を一軍で投げさせるか、二軍でじっくり育てるかという選択を迫られた。
「悩んだけど、当時の楽天は投手陣も手薄だし、一軍なら自分で直接見られるからね。
ただね、最初は投げれば打たれたし、コーチらは『二軍で育てたほうが……』と、事あるごとに言ってきたよ。
でも、耳を貸さなかった。なぜか打たれても負けがつかないんだ。それで、『マー君、神の子、不思議な子』という言葉が生まれたんだ(笑)」
その後、“不思議な子” の指導をまかされたのが、当時投手コーチだった佐藤義則氏だ。
「彼が入団3年めで、すでにエースだったけど『なんとか一人前にしてくれ』と。野村監督から、『高めは球速が出るけど低めが出ない』って話を聞いてね。
投げる際、膝が割れるから球を長く持てなくて低めが伸びないと話し、キャッチボールからやろうと。それが第一声だったね。
いちばんの思い出は、やはり24連勝だね。能力だけじゃ勝てない。9回まで負けていても、嶋基宏が逆転打を打ったり。やっぱり運を持っていないとできない記録だよ」
田中が入団したときに、チームの主力として活躍していた草野大輔氏と山崎武司氏は、“教育係” を買って出たという。
「最初に言ったのは、『もうちょっとファンに優しく手を振ってやれ』ということ。彼は鳴り物入りで入ってきましたから、いちばん大事なのはそういうまわりへの対応だったりするんですよ」(草野氏)
山崎氏も同様だった。
「どうしても注目される存在だったので、入団当初はマスコミ嫌いなところがありました。18歳でその対応はよくないから、『そこらへんはうまくやれよ』と注意しました。
彼のいいところは、『わかりました』と言ってすぐに変わったところ。根が素直なんです。それにシャイで人見知り。慣れればすごくしゃべるんですけど、本当に最初は無口、無口、無口でしたよ(笑)」
一方で、投げっぷりのよさは2人も認めるところ。
「彼は同じ失敗をせず、次の糧にしていく。だから、彼が投げているとき、野手は『打ってやろう』という気になるんです。実際、僕はよく打ちましたからね(笑)」(山崎氏)
「僕ら野手からすると、長いシーズン中『なんだコイツ、今日は面倒くせえピッチングしやがって!』とか思うときがあるんです。
そうなると、ピンチでも投手に声をかけなかったり、気が緩んでエラーも出る。でも、将大が投げているときは、『絶対に勝たなきゃ』と思えた。それが24連勝のシーズンだったと思いますよ」(草野氏)
■「楽天さんにお世話になることになりました」
その根底には、「田中の負けず嫌いの性格がある」と、草野氏は続ける。
「投げる姿を見ていても、『絶対に負けない』というオーラが前面に出てるんです。将大は究極の負けず嫌いなんですよ。
彼にゴルフをすすめたんですが、最初は120~130くらい叩いたのかな。悔しがってね。それから、陰でめちゃくちゃ練習したみたいで、しばらくしたら80くらい出して、僕が負けましたよ(笑)。その負けず嫌いが、すべてに通じているんだと思います」
シャイで、究極の負けず嫌いの男だが、「律儀な面も持っている」との声も多く聞かれた。
「日本にいるときは、よく食事に行きました。結婚についてもわざわざ会いに来て、直接報告してくれました。相手が有名な方だったんで、慎重な扱いだったと思うんですよ。
今回も、日本復帰の記者発表をする前日に連絡をくれて、『楽天さんにお世話になることになりました』と。『ええっ!』て感じで、びっくりでしたよ。
でもさすがというか、タイミングから何から、人に愛されるものを持っているなと思いましたね。
日本がコロナから立ち上がろうとしているこの時期に、メジャーでバリバリの将大が楽天に帰ってくるわけですから。そりゃあ、東北の人は目がハートマークになりますよ(笑)」(香田氏)
山崎氏にも、事前に報告があったという。
「最初、ツイッターでわざわざ『帰ってきます』と連絡をくれていたんですが、僕は気づいてなくて。そうしたら、沖縄のキャンプで会ったときに、『僕、ツイッターで知らせていたんですけど!』と言われてね。
『ごめん、ごめん、見てなかったわ』と返しました(笑)。メジャー移籍後も、『おめでとう』とか『調子はどうだ?』とメールを送ると、必ずすぐに返信が来るんです。
今回の帰国後、LINEのIDも交換したんですが、そこでもすぐに返信が返って来ました。彼は日米で成功したスーパースターですけど、そういう律儀な面も持っているんです」
破竹の24連勝、日本一を置き土産にメジャー移籍、そして、東日本大震災から10年というタイミングでの日本球界復帰。超負けず嫌いでシャイな男は、8年ぶりの日本一奪還に向け、マウンド上で豹変する。
写真・朝日新聞
(週刊FLASH 2021年5月11日・18日号)