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大相撲・玉鷲“1対2”若手力士がまとめて突進「地獄稽古」親方が明かす「コロナで出稽古に行けず、あるもの生かした」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.11.16 06:00 最終更新日:2022.11.16 06:00
11月13日に初日を迎えた大相撲十一月場所。主役の一人が、九月場所で2度めの優勝を果たし、3年ぶりに小結に復帰した玉鷲だ。11月16日に38歳となる鉄人は、今何を思い、土俵に立つのか――。
現在、片男波(かたおなみ)部屋に所属する力士は、玉鷲を含め4人。部屋つきの熊ヶ谷親方(元前頭・玉飛鳥)も、まわしを締めて稽古場に立ち、師匠の片男波親方(元関脇・玉春日)が見守る。力士が少ないため、部屋では特殊な稽古がおこなわれている。
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玉鷲相手に若い力士が、2人がかりで相撲を取るのだ。一人を押していると、もう一人が玉鷲の後ろに回って、という稽古だ。今年の一月場所後に、片男波親方の発案で取り入れたという。
「1対1だと力の差がありすぎて、玉鷲が力を出しきれない。“苦肉の策”というわけです。しかし、これがいい稽古になる。私も現役時代に、幼稚園や小学校で何人もの子供たちを相手にしたことがあるのですが、意外と大変なんですよ。関取は玉鷲だけで、若い子も少ないので、ほかの部屋と比べたら圧倒的に不利。ましてや、コロナで出稽古にも行けなくなった。ならば工夫して、あるものを生かすしかないですから」
そう語る師匠は、玉鷲との出会いをこう語る。
「モンゴル出身の子は、モンゴル相撲などを経験しているんですが、彼はまったくの素人だった。しかも19歳。よく覚悟して、この世界に入ってきたなと」
そんな玉鷲を、師匠は「天才」と評価する。
「はっきりいえば、“まわしを取ったら幕下以下”なんです。四つに組むとまったく力を発揮できない。なので、先代のときから押し相撲一本という指導です。
とはいえ、技術的な指導はしてないんです。たとえば、『おっつけ』なら腰を前に出して、という技術的なセオリーがあるんですが、そういうことを教えようとすると、迷ってしまって相撲がおかしくなってしまうんです。だから、もう技術のことは言わないことにしました。おそらく、彼は天才なんですよ。
一応、突き押しという型ではあるんだけど、感性、感覚だけでやっている。それでこれだけの結果を出しているんだから、もう天才というしかないじゃないですか」
18歳で来日してから約20年。玉鷲本人は「今じゃ、モンゴルに帰ったときのほうが、『あれ?』と思うことが多いよ」と笑う。
2004年一月場所で初土俵を踏んで以来19年近く、連続出場を続ける鉄人。通算1463回の連続出場は、歴代3位(九月場所、千秋楽時点)となった。
37歳10カ月での幕内優勝は、年6場所制以降の最年長記録でもある。
「体のケアは何もしてないよ。マッサージは調子が悪いときだけ。マッサージをすると、体が『ゆるくなる』っていう感覚になっちゃうからね。だからいい状態なら、いじらないほうがいいと思ってる。この年でも相撲を取れるのは、丈夫な体で産んでくれたということがいちばん。あと、大事なのは気持ち。年を取ってくると、相撲が楽しくない、なんのために苦しいことやってるんだとか、そういう気持ちが出てくるんだよ。相撲が楽しくないと思ったら、やめるしかないと思っている」
優勝した九月場所でも、反省はあると語る。
「引いたり、逃げたり、そういう相撲が増えてきたら危ないね。15日間、毎日前に出る相撲が取りたい。若いときはそれができたけど、今では10番くらい。残り5番は引いたり、止まったり。
先場所の貴景勝戦は叩いてしまったよね。勝ったんだけど、自分では勝った気がしない。14日目の翔猿戦みたいに、一気に前に出る『電車道』。ああいう相撲が気持ちがいいね」
九州は、自分にとって特別な場所だという。
「すごく縁があるんですよ。部屋の宿舎が朝倉市(福岡県)にあって、そこの人たちが家族より応援してくれる(笑)。勝って、皆さんを喜ばせたい。親に恩返しっていうけど、それと同じ気持ちだね」
九州では関取昇進後の14年で、負け越しは一度だけ。二桁勝利が5度、10年連続勝ち越しを続けるゲンのいい場所でもある。
鉄人・玉鷲。心も体も、まだまだ衰え知らずだ。
写真・高橋マナミ
コーディネート・金本光弘
玉鷲一朗(たまわし・いちろう)
本名・バトジャルガル・ムンフオリギル モンゴル・ウランバートル出身 1984年11月16日生まれ 189cm174kg 片男波部屋。最高位は関脇。2019年一月場所で初優勝。家族は妻と息子2人。お菓子作りなどが趣味。2019年から朝倉市親善大使を務める