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「猪木VS.アリ」世紀の一戦を古舘&勝俣が振り返る! アリがほしかったのは金、猪木が望んだのは「プロレスの市民権」

スポーツ 投稿日:2022.12.24 11:00FLASH編集部

「猪木VS.アリ」世紀の一戦を古舘&勝俣が振り返る! アリがほしかったのは金、猪木が望んだのは「プロレスの市民権」

(写真・AP/アフロ)

 

 古舘伊知郎勝俣州和が、12月21日公開の勝俣のYouTubeチャンネルで、1976年に実現した「アントニオ猪木VS.モハメド・アリ」の異種格闘技戦について語った。

 

 勝俣は「アリの、1975年の発言から始まった。記者会見で『東洋人で俺に挑戦するやつはいないのか? 100万ドルやるぞ』って(言い出した)」と、対戦のきっかけを説明。

 

 

 古舘も「ベトナム戦争で徴兵を拒否したり、いろいろあった。アリ陣営は金がいくらあっても足りない状態」と、大きな試合をブチ上げることで、その後の試合に結びつける“営業”をしたかったと持論を披露した。

 

 試合の調印式がおこなわれたが、急にアリ陣営が「ファイトマネーを1000万ドルほしい」と、無理なことを言い出したという。

 

 さらに、故・アントニオ猪木さんのスパーリングを見てから、アリ陣営がパンチ禁止、投げ技禁止などのルール変更を要求してきた。

 

 猪木さんは当時、新日本プロレスを立ち上げたばかりで、借金をしてでもアリと対戦したかったという。

 

 勝俣は「(猪木さんは)プロレスの市民権がほしかった。プロレスはスポーツなのに、(当時は)日本のスポーツ新聞にも載らない。アリと戦うなら、世間がプロレスに目を向ける」との思惑があったことを代弁した。

 

 アリは前日まで「帰る」と言い出すなど、無理難題を吹っかけ、さらにルールはがんじがらめとなり、アリは立ち、猪木さんは寝技で闘う「猪木・アリ状態」で試合は進んだ。

 

 試合では、アリが猪木さんの脚をつかまえて、ロープ際で猪木さんから反則ではあるものの、エルボーを入れてKOできそうな瞬間があったという。

 

 それでもやめた点について、古舘は「外交手段に出たと思う」と話すと、勝俣も「敵を作るんじゃなくて味方を作る」と、ルールを守ったことのアピールだったと語った。

 

 古舘は「その後、(キューバの)カストロ議長と仲よくなったり、世界外交ができるようになった。それは(エルボーを)寸止めしたおかげ」と、猪木さんが後に政治家として活躍する際にも役立った、との持論を展開していた。

 

 古舘と勝俣が熱弁した「猪木VS.アリ」の裏側に、YouTubeのコメント欄にはさまざまな声が書き込まれた。

 

《猪木の真意はもう誰もわからないが、とにかく相手の技を受けて受けて肉を切らせて骨を断つという一点に徹した 紙一重の闘いが凄くて涙が出てくる》

 

《アリ戦を当時は凡戦と言ったが、15ラウンド、寝た形で首を上げながらいる猪木の超人的体力と魔性の駆け引き力の凄さを知ってほしい。猪木さん、夢をありがとうございました》

 

《調印式から観るべきです。猪木さんの面構えが男前。観れば分かるさ。体験に勝るもの無し》

 

「今回の動画では、2人は試合を終えた後の猪木さんとアリの関係についてもコメントしていました。

 

 お互い、事情があってルールに縛られた試合で引き分けとなったものの、2人には友情が芽生えて、1年後のアリの結婚式に猪木さんは招待されたそう。

 

 また1990年、イラクがクウェートに侵攻した『湾岸危機』の際、猪木さんは日本人が人質となっていたのを解放しました。

 

 その裏側について、勝俣さんは『聞いた話では、猪木さんが(イラクへ)行く前日に、アリが(当時のイラクの)フセイン(大統領)のところに行って“私の親友の猪木という男が来る。よくしてあげてください”って』と、アリのアシストがあって実現したものだった、という秘話を明かしていました」(芸能ライター)

 

 古舘と勝俣ならではの格闘技のエピソードをもっと聞いてみたい。

( SmartFLASH )

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