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門田博光さん「今度は足の甲まで切断するんや」カネが原因で山奥独居15年…親友語る糖尿病闘病と野球を避けた晩年

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.01.31 06:00 最終更新日:2023.01.31 06:00

門田博光さん「今度は足の甲まで切断するんや」カネが原因で山奥独居15年…親友語る糖尿病闘病と野球を避けた晩年

2019年、殿堂入り顕彰者の特例で「学生野球資格」を回復させた門田さん。Aさん夫妻によれば、この直後に「野球チーム」の話をしていたという(写真・時事通信)

 

「最後に会ったのは1月21日。大安なのでよく覚えています。会うなり、『コーヒー買ってきたで~』って元気でした」

 

 こう話すのは、兵庫県内に住むAさん(40代)。夫婦ぐるみで、門田博光さん(享年74)と長年親交があったという。受診予定の病院に姿を見せず、医師から相談を受けた警察官が1月24日に門田さんの自宅を訪ねると、亡くなっているのが発見された。

 

 プロ野球歴代3位となる通算567本塁打を記録した男の「終の住処」となったのは、兵庫県の山奥にある会員制別荘地。管理人がいる入場ゲートが設けられ、住民以外の立ち入りが制限されている。

 

 

 近隣を訪ね歩いたが、門田さんが住んでいたことを認識している人はほとんどいない。そんな寂しい暮らしのなか、Aさん夫妻は門田さんにとって「親友」もしくはそれ以上の存在だったのだろうーー。

 

 南海ホークスの看板選手として、不惑を過ぎても活躍していた門田さんは、現役時代に奈良県内に「3億円豪邸」ともいわれる自宅を構えていた。

 

「当時では珍しい1億円プレーヤーだった門田さんですが、引退から5年後の1997年には、豪邸を手放しています。そこから奈良県内の賃貸アパートで暮らしていた時期もあったようです」(スポーツ紙記者)

 

 2007年に、門田さんは別荘地に“ポツンと一軒家”を購入して移り住んだ。1980年代には1軒数千万円もしたが、その後はかなり値下がりしていた。この地で、現役時代から患っていた糖尿病などとの闘病生活を送っていたが、一軒家購入後から門田さんと親交があり、何度も食事をともにしたXさんは壮絶な光景を思い出す。

 

「門田さんが来て4年くらいのころ、片足をかばうように歩いていて、理由を聞くと『じつは切ったんや』と……。包帯が巻かれた足を見せてくれました。次に会ったとき、足の甲に手を当て『今度はここまで切断するんや』と話していた。糖尿病で、足を切断する手術を繰り返していたようです」

 

 そんな状態でも、人里離れた別荘地で独居を続けていた。

 

「けっして生活に困窮していたわけではなかったが、門田さんは『事業がうまくいかなかった。カネが原因で奥さんとは離婚して、ここに来た』といった話をしていました。ほかよりも狭い家で、別荘地のいちばん奥に住んでいた。今なら100万円くらいで買える物件で、当時でも500万円くらいではないか。『誰にも言わずにここに来たんや』と言っていて、あえてそこに住んでいたんだと思います」(Xさん)

 

 ここでの生活で特別に心を開いていたのが、冒頭のAさん夫妻だった。Aさんの妻が話す。

 

「私たちは野球に詳しくなくて……最初『門田博光』という名前にピンとこなかったんです。それが心地よかったのか、よくうちに遊びに来ていました」

 

 晩年、極端に野球の話題を避けていたという門田さん。しかし、Aさん夫妻には「野球人」としての姿も見せていた。

 

「うちの息子が当時、中学生で野球をやっていたんですけど、冗談で『教えたげて』と言ったら、次の日にユニホーム姿で現われて、真剣に教えてくれたんです」と話すAさんのスマホには、そのときの動画が残っていた。そこには「膝は柔らかく使えるようにならんと……」と、アドバイスを送る門田さんの姿があった。現在、Aさん夫妻の息子は高校野球の強豪校に在籍しているという。

 

「急に『この街に野球チーム作らへんか。わしが教える』と言ったこともありました。田んぼの土地を買って、グラウンドにしようと言うんです。でも結局、コロナがあってそれどころじゃなくなってしまった」(Aさんの妻)

 

 2022年11月には、門田さんと真剣勝負を繰り広げた村田兆治さん(享年72)が、独居していた自宅の火事で亡くなった。

 

「門田さんは『かわいそうや』と悲しんでいました。私らが『門田さんも何かあったら新聞に載るんやから、気をつけなあかん』と言ったら、真剣な表情で頷いていました。コロナ禍の間に、別れた奥様は先立たれたそうで、万一のために息子さんの連絡先を教えてもらっていたんですが……」(Aさん)

 

 じつは、門田さんは現役時代の手記で、こんな願望を明かしたことがある。

 

《ボクの夢というか、こうありたいなあ、というのは『アルプスの少女ハイジ』のなかにでてくるおじいさん(中略)あのアルム爺さんのような生活をするのが夢なんですよ。たしかに、今は注目される環境にあるんですが、それも時がたてば虚しい》(「文藝春秋」1988年8月号より)

 

 不屈の精神と努力で、孤高の天才と呼ばれたスラッガーは、人生の晩年に「ハイジのおんじ」の夢をかなえたのかもしれない。

( 週刊FLASH 2023年2月14日号 )

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