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【WBC】佐々木朗希、大谷翔平、ダルビッシュらが「3・11」に届けた被災者への「勝利」のプレゼント

スポーツ 投稿日:2023.03.12 17:58FLASH編集部

【WBC】佐々木朗希、大谷翔平、ダルビッシュらが「3・11」に届けた被災者への「勝利」のプレゼント

3月11日、先発でWBCデビューを飾った佐々木朗希(写真・CTK Photo/アフロ)

 

 3月11日、東京ドームで行われたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)1次ラウンドB組で、日本代表「侍ジャパン」はチェコ相手に先制点こそ許したものの、10-2で勝利し、3連勝を飾った。3回2/3を2安打1失点(自責0)8奪三振で乗り切った先発の佐々木朗希(21)にとって、この日は特別な意味を持つ1日だった。

 

 12年前の3月11日。当時、9歳で小学校3年生だった佐々木は、岩手県陸前高田市の小学校にいたときに東日本大震災に遭遇した。2020年、「文春オンライン」の取材に、佐々木は、そのときの様子をこう振り返っている。

 

 

「校庭まで津波が押し寄せてきました。みんなで必死に高台まで逃げたのを覚えています。正直、なにが起きたのか分からなかったけど、その事は今でもはっきりと覚えている」

 

 この震災で、海岸近くにあった自宅が流された佐々木は、父・功太さん(当時37)と、祖父母を失った。生まれ育った陸前高田の街は一変し、父とのキャッチボールの時間も奪われた佐々木は、水もなければ風呂にも入れない避難所生活に突入する。そして4年生になると、母方の家族がいる、岩手県大船渡市への引っ越しを余儀なくされた。

 

 それでも佐々木は、野球だけは続けた。

 

 中学時代に球速が140km/hを超えていた佐々木のもとには強豪校からの誘いもあったが、佐々木が選んだのは、地元・大船渡高校だった。高校時代には球速がいよいよ160km/hを超え「令和の怪物」と称されるまでになった佐々木は、高校卒業後に千葉ロッテに入団。その後の活躍はご存知の通りだ。

 

 そうして迎えた2023年3月11日。この特別な日に佐々木が投げることは、チームが編成されたときから栗山監督が決めていたことだったという。

 

「僕らに何かできることはないんです。でも時間が経っていても、いま悲しい思いをされたり、苦しい思いをされている方が、一瞬でもそれを忘れていただけるようにと思って、今日の試合に臨もうと思った」

 

 試合を終えた栗山監督は、佐々木を先発させた思いや、この日の試合の意味をそう振り返った。

 

 東日本大震災を経験しているのは、佐々木だけではない。大谷翔平(28・エンゼルス)は高校1年生、16歳のときに、岩手県花巻市にある花巻東高校で震災に遭遇した。大谷は地震発生直後に家族と連絡が取れたが、同校野球部のチームメートの中には、自宅を流された生徒や、家族を失った生徒もいた。

 

 大谷は震災から10年めの2021年、メジャーでの開幕戦を前にした取材で、米国から被災地へ向けたコメントを発している。

 

「東日本大震災から10年。月日とともに薄れていくことも多い中で『忘れてはいけない事』『忘れられない事』も多いかと思います。自分自身できることは微力ではあると思いますが、少しでも被災地の力になれるように、まだまだ頑張っていきたいと思っています」

 

 高校時代を仙台で過ごし、震災発生時は日本ハムに所属していたダルビッシュ有(36・パドレス)は、東日本大震災の発生直後、被災者に日本赤十字社を通じて、5000万円の義援金を送っている。ダルビッシュは震災から9年後の2020年3月11日に、自身のTwitterで思いをつづっている。

 

「あれから9年。とにかくあの被害を忘れず、子供たちにしっかり伝えていきたい。被害に遭われてまだ苦しんでいる方たちに一回でも多く笑っていただけるように自分も努力していきます」

 

 佐々木、大谷、ダルビッシュ……。12年前の「3・11」を経験した者それぞれが、それぞれに被災地や被災した人々への思いを胸に戦っていたチェコ戦。その試合前、マスコミから何度も被災地や被災者へのメッセージを求められた佐々木は、最後にこう言っていた。

 

「僕が投げている姿で何かを感じてもらえたらと思います」

 

 彼らからの勝利のプレゼントは、東北の人々の胸にしっかりと届いたに違いない。

( SmartFLASH )

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