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朝乃山、幕内復帰へ初めて口にした“決意”亡き父、故郷のファンへ「“てっぺん”獲って恩を返します」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.03.18 06:00 最終更新日:2023.03.18 06:00
一横綱、一大関という異常事態が続く相撲界。2022年は6場所すべてで優勝力士が異なる“戦国”の状況だ。大関候補の新鋭もいるが、とりわけ大きな期待を寄せられているのが、元大関の朝乃山(29)だ。
一月場所、NHKが公開している大相撲の動画再生ランキングでは、大関ら役力士の取組を抑えて、十両の朝乃山の取組が連日トップとなった。
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「ああいうことがあったのに、ずっと応援してもらって、本当にありがたいと思っています。謹慎していた1年間、なぜ自分が大相撲の世界に入ったのか、何を目指してきたのか、いろいろ考えることが多かったんです。大関に上がれたのも自分ひとりの力じゃないことがよくわかった。たくさんの方に支えられて上がれたんだと。そういうことを忘れていた自分に気づきました」
2020年に大関に昇進するも、2021年、日本相撲協会の新型コロナウイルス感染症対応ガイドラインに違反して外出したとして、七月場所から1年間の出場停止処分を受けた。番付は大関から三段目にまで落ちた。その間、外出することはほとんどなかったという。
「いちばんの問題は、どうやってモチベーションを維持するかでした。師匠をはじめ、多くの方々に迷惑をかけてしまった。地元・富山だけではなく、全国の人たちに応援してもらっているのをずっと感じていましたから、やめたらその方々に背を向けてしまうことになる。それだけは絶対にダメだと考えていました」
さらに、処分が決まった直後の2021年6月に祖父が、そして8月には、父の靖さんが相次いで亡くなった。
「父の死は本当にショックでした。小さいときからキャッチボールをしたり、よく遊びに連れていったりしてくれました。この世界に入ってからも、初日と千秋楽はいつも観に来てくれて、成績がいいときはすごく喜んでくれて……。本当に気持ちが落ちてしまって、もう相撲をやめてしまおうかと考えたこともありました」
そんな折れそうな心を救ったのが、母のひと言だった。
「『絶対にやめないで』って言われたんですよ。もう一度、土俵に立つ姿を、誰よりも見たかったのが父だろうと。そう考えると、心が決まりました。もう、絶対に逃げないと」
四股名も「英樹」から、本名の「広暉」に変えた。英樹は、富山商業高校相撲部監督で、新十両を決めた翌日に亡くなった故・浦山英樹氏の名前だった。
「父が亡くなった後、母から聞いたんです。新十両で四股名を『朝乃山英樹』にしたとき、父がぼそっと『下の名前も変えたんだ。全部変えたんだ』と言っていたと。広暉は父親がつけてくれた名前で、心が広く大きい人間になってほしい、そういう名前なんです。今度はその名前で土俵に上がりたいと思ったんです」
一月場所で十両優勝を果たし、2月には富山で後援会の「新年激励会」に参加した。地元でのイベント参加は3年ぶりだった。「元いた番付(大関)に戻りたい。いちばんの恩返しは“てっぺん”(横綱)を獲ることだと思います」と宣言した。これまで「横綱」を口にすることはなかった。
「富山の方々にはずっと応援してもらってきました。そこで『いちばんの恩返しはなんですか?』と聞かれたので、思わず言ってしまいました。あ、言いすぎたと思ったんですけどね(笑)。でも、地元の方はもちろん、応援してくれる人、迷惑をかけてしまった方々へのいちばんの恩返しはそれだと思います」
2021年の処分から2年近くがたち、幕内上位の顔ぶれも大きく変わっている。
「今は、誰が優勝してもおかしくない。自分もそこ(幕内)に入っていければ、(優勝の)チャンスがなくはないと思っています。できれば、年内に三役まで上がりたいですね」
三月場所が開催される大阪は、近畿大学で4年間を過ごした“準地元”。今場所では幕内復帰が期待されたが、番付は十両筆頭止まりだった。
「番付は運もありますし、幕内だろうが十両だろうが、自分のやることは変わりません。十両ならば、そこでもう一度、優勝を目指して番付を上げていくだけです。2022年は出られなかったので、2年ぶりの大阪。自分を待っていてくれた人も大勢いると思うんです。できる恩返しは、いい相撲を取ること。それだけです」
もう逃げない。前へ前へと進むだけだ。
写真・高橋マナミ
コーディネート・金本光弘