2024年8月20日から25日までの6試合を5勝1敗の好成績と、日本ハムが好調だ。114試合を消化し、60勝47敗7分けと、貯金は「13」にまで伸びた。これは、2022年に新庄剛志新監督が誕生して以来、最多の数字でもある。首位ソフトバンクとはまだ9.5ゲーム差あるが、新庄政権になって初となるクライマックスシリーズ進出は確実なものとなってきた。
「新庄監督は『こいつだ!』と思ったら、結果がなかなか出なくても使い続ける勇気と信念がある。万波中正外野手や田宮裕涼(ゆあ)捕手がその代表格で、万波は侍ジャパンに、田宮は打てる捕手に成長しました。
技術面の指導は専門のコーチに任せているんですが、教えることではなく、ちょっとした会話のなかでアドバイスを送っているんです。それが、主力であっても不振をかこっていた選手には響くようで、見事に復調する選手が多いんです。
また報道陣には、ミスをした選手については『使った自分が悪い』と選手をかばい、活躍した選手には『選手の実力』と褒める。選手がやる気にならないわけがありません」(日ハム担当記者)
今季開幕前に大きな補強はなかったにもかかわらず、2位と好位置をキープし、多くの若手が急成長している日ハム。当然、球団首脳の“背広組”は大いに喜んでいたか……と思えば、夏前は大きな不満と不安が入り混じっていたという。それが、清宮幸太郎の不在だった。
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2017年のドラフトで、高校生としては1997年の福留孝介と並ぶ最多7球団から指名を受けた清宮。当然、日ハムとしてはチームの顔として、大事に育てようとした。
しかし、毎年のように繰り返されるけがで、主力に成長したかと思えば離脱の繰り返し。2024年も、春季キャンプに向けて先乗りした沖縄での自主トレで、左足関節を捻挫。その影響で、1軍に昇格したのは4月19日のことだった。その後も不調で降格し、6月中盤になって、ようやく1軍での試合に出られるようになった。
それゆえ、背広組”にようやく安堵の表情が見られるようになったのは、交流戦後のことだった。清宮がスタメン出場して安打を放った試合は18勝3分けと負けなしで、とくに4番清宮が安打を放つと、6戦6勝という好調ぶりだ。“清宮神話”が継続中なのだ。
しかし、“背広組”とは裏腹に、新庄監督のほうは様子が違うという。
「あれだけ選手を褒める新庄監督が、こと清宮のことになると、まったく褒めないのです。
8月22日、ロッテ・佐々木朗希と相対した日ハムは、清宮の決勝打を含む3安打2打点をマークしました。みごとロッテに3連勝する活躍を見せました。
この試合でも“清宮神話”が続いたわけですが、新庄監督は『あんまり興味ない(笑)。まあ、4番にしたのは僕ですけど』と、つれない回答。さらに清宮は第1打席後の走塁で、左膝に違和感が出たことを明かし『代えようかっていうところまでいったけど、本人が大丈夫と。けがの功名』と笑っていました」(同前)
清宮にだけは、やけにあっさり対応の新庄監督。その“肝”はいったい何なのか。
「ここが新庄監督のうまいところなんです。ほとんどの選手と対話路線を貫いているのですが、清宮だけはそうではなく、決して褒めない。でも、それは新庄監督の親心。選手によって使い分けているわけです。清宮にはチームの顔に成長してほしいし、だからこそ、厳しく当たっています。清宮にしても、そうした期待は十分わかっていますから、新庄監督に褒められなくても『なにくそっ!』とがんばり続けられるわけです」(同前)
“褒めないパワー”を“褒められたいパワー”が上回る日はやってくるか。
( SmartFLASH )