
さくらジャパンMF・瀬川真帆(写真・福田ヨシツグ)
フィールドホッケーはスティックでボールを操り、相手ゴールを狙う11人制の競技。さくらジャパンのMF・瀬川真帆選手が育った岩手県岩手町は、町をあげてホッケーが盛んな町だ。
「小学校では必ずホッケーの授業があり、学校対抗の大会も開催されていました。さらに、町民のホッケー大会は50年ほど続いています。ホッケーが好きというより、町のなかに自然と溶け込んでいるような感覚でした」と、懐かしそうに故郷を振り返る。ホッケーを始めたのは「試合に出る人数が足りないから」と誘われたのがきっかけだった。
「遊びの延長で始めたので、自分を表現するもののひとつとして、ただそこにあったという感覚です。たぶん、同級生のみんなは、私がいちばん最初に辞めると思っていたでしょうね(笑)。スポーツは得意で、世界陸上を見たりはしていましたが、小さいころから五輪を目指すことなどなく、すごい人が集まる異次元の世界だととらえていました。高校卒業前に『ホッケーを辞めます』と監督に伝えたら、『俺のためにオリンピックに出てくれ』と言われ、『オリンピックって、あの5つの輪の?』と驚きました(笑)。オリンピックを目指したというより、ただ負けず嫌いで、目の前のライバルに勝ちたくてやってきた、というほうが近いです」
ホッケーは1試合で8kmほどを走るハードな競技だ。その競技を続けている瀬川選手からは想像がつかないが、5歳のころ、「突発性ネフローゼ」を発症。運動や飲み物に制限があり、病院にも定期的に通ったという。
「毎朝、尿を採り、タンパクが出ていないか検査する毎日でした。人より疲れやすく、いまでもその傾向はあります。母子家庭で育ち、母もつきっきりで見守る時間がなかったため、病気で遊べなかった時期の反動で、思い切り遊ぼうとしました。友達と山へ行って秘密基地を作ったり、川で魚を捕まえて焼いて食べたりと、かなりわんぱくな子どもでしたね(笑)」
まわりには男の子の友達ばかりで、けんかも日常茶飯時。このころの環境が、瀬川のメンタルの強さにつながっている。
「小学校時代、ホッケーもうまくてマラソンも速い、幼なじみの男の子がいました。その子に負けたくないというライバル心のおかげで、“無限の体力”を手に入れることができました(笑)。兄と、近くに住んでいた従兄弟は全員男で、一見、かわいがられそうな気がしますよね。でも彼らからは『大人の世界を知ってるか?泣いても誰も助けてくれないんだぞ』と言われ、小学生ながらに自分で勝ち抜いていかなければならない、と学びました(笑)。母は基本的に『やるべきことをやってから、自分の好きなことをやりなさい』という教育方針でした。一方、叔母は何でもいちばんじゃないと怒るタイプだったため、その影響で『何かをやるなら上を目指さなければいけない』という気持ちが根づいています。甘やかさずに育ててくれたことには、とても感謝しています」
U-16、U-18など年代別の日本代表にも選ばれ、順風満帆の選手生活を送ってきたと思えるが、中学1年のときには県選抜から落ち、何度も挫折を味わった。一時期はホッケーをやめようと何度も思い、勉強に励んだ。
「何回も『もういいや』と思いましたし、ずっと辞めたかったです。そのため、好きだから続けたというより、結果を出したいという思いのほうが強かったですね。下手な自分が選ばれるためには何をすべきか、つねに考えながら取り組んできました」
高校卒業後はソニーに入社する。
「ホッケーを仕事のひとつとしてとらえられるようになりました。ピッチに立ち、勝つという結果を持ち帰ることで、報酬をもらえると考えています。だからこそ、絶対に勝たなければならないと思うんです。それに、勝ったときの気持ちよさを知っていますから(笑)。ただ、リオ五輪の選考から漏れたことで、ホッケーを嫌いになりそうな時期がありました。何かを変えなければ、という気持ちが強かったとき、スペインのチームへのレンタル移籍の話をいただき、迷わず行くことに決めました」
瀬川は2017年にスペインに渡り、レアル・ソシエダでプレーをする。ここでの日々が彼女を変えていった。
「ピッチ上では先輩・後輩関係なくプレーでき、気づいたことやミスにつながったプレーについては、その場ではっきりと話し合います。また、スペインは個人技の練習も多かったため、技術的にもかなり進歩しました。ホッケーの実力だけでなく、人間的な部分でも本当に成長できたと感じています。当時のチームメイトとはいまでも連絡を取り合っており、今年、スペインのチームに加わった際も報告しました。自分のホッケーに対する姿勢は間違っていないと再確認でき、再びホッケーを好きになることができました。もともと語学留学を希望して外国語の勉強もしていたので、環境的にも向いていましたね。スペインでの日々は、私にとって非常に大きな経験でした」
こうして瀬川は再びホッケーと向き合い、現在は東京ヴェルディに所属し、プレーを続ける。
「今年はドイツとスペインのチームでプレーし、その後はネーションズカップやワールドカップに出場したため、ヴェルディの試合には2試合しか出られていません。ふだんは企業で事務職として働きながら、神奈川県の日吉にある慶應義塾大学のグラウンドで、男子チームにまじって練習しています」
アジア大会に向けては「1人でも多くの人にホッケーを知ってもらいたい」とこう話す。
「ホッケーのシュートは、時速150~160kmほどのスピードが出ます。実際にピッチへ観に来ていただければ、そのスピード感や迫力、ボールを打つ音、そしてセットプレーの攻防など、見応えは十分にあるはずです。スティックでボールを操るテクニックも、かなりおもしろいと思いますよ」
さらに、瀬川にはアジア大会の先に大きな目標がある。
「東京オリンピックの初戦は、緊張しすぎて手が震えました。それでも『びびって出るのと、おもしろがって出るのとでは、どちらが楽しいか?』と自分に問いかけ、『おもしろい試合が待っている』と言い聞かせて、毎試合に臨みました。しかし、結果は1勝もできず、3試合が1点差での敗北でした。そこで痛感したのが、1点の重みです。その重さを知っているからこそ、ロサンゼルス五輪には絶対に出たいですし、必ず出場するつもりです」
そして、もうひとつの目標が――。自分が幼少期に病気でつらい思いをしたからこそ、病気の人を励まし、背中を押すことだ。
「ホッケーは1試合で8~9kmを走る、運動量の多い、激しいスポーツです。それを私ができている、という事実が、病気を持つ子どもたちが一歩を踏み出すきっかけになれたら、ホッケーを続けている意味があるんだと思います。私は母子家庭育ちで、決して恵まれた家庭環境ではありませんでした。病気だったことも、環境も、すべて嫌でしたが、自分の力で未来は変えられるし、壁は乗り越えられると伝えていきたいです。これからは、そういった活動にも力を入れていくと同時に、私の生き方を知ってもらうことで、ホッケーの魅力も広められたらうれしいですね」
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