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イチロー、知られざる契約更改秘話「電通に宣伝効果を聞いて」

スポーツ 投稿日:2018.12.19 06:00FLASH編集部

イチロー、知られざる契約更改秘話「電通に宣伝効果を聞いて」

 

 1995年、1996年にパ・リーグ連覇を果たした黄金期のオリックス。当時、主力投手として優勝に貢献した野田浩司氏(50)と球団代表としてチームを見つめていた井箟重慶氏(83)が、スーパースター・イチローの年俸交渉術について語る。

 

 

――野田さんは、契約更改のときにイチロー選手の年俸などは参考にしていたんですか?

 

野田 彼を気にしたことはなかったですね。ちょっと次元が違うんですよね。

 

井箟 イチローとは1回も契約更改で揉めてないからね。イチローはいきなりみんなの前でやるわけにはいかないから、必ず下交渉はやりました。ほとんど一発勝負で、お金は揉めなかったね。

 

――筋が通っていれば一発OKという感じですか?

 

井箟 そうそう。イチローが大活躍して世間で有名になった1994年のオフに、年俸が800万円から8000万円になった。いろいろと説明して、8000万円でどうだ? と聞いたら、「わかりました。それでいいです」と。

 

 もちろん下交渉ですよ。その下交渉は真夜中にやりました。だって、マスコミが鵜の目鷹の目で「イチローの契約はどうなるんだ」と寮の前で張っているから、2人だけで会えないんですよ。

 

 だから、イチローに「一回、寮に帰って電気を消せ。寝たように見せかけろ。そうしたら記者はみんな帰る。それから俺のとこに電話してこい」と言ったの(笑)。

 

 それから俺の自宅に来てもらうことになったんだけど、彼は初めて来るから道がわからない。それで、夜中の1時くらいに近くまで迎えに行ったんです。

 

 その後がすごかった。道端で落ち合って、自宅までワンブロックぐらい歩いていたら、向こうから中年の女性が来たの。すれ違ったとたん、その女性が「あっ! イチローさんだ」と声を上げた。若い人ならわかるけど、中年の女性が夜中にすれ違っただけでわかるとは、イチローはすごいなあ、と思った(笑)。

 

――当時は社会現象のような人気でしたね。

 

井箟 俺はその道中だけで参っちゃったもん(笑)。下交渉の話を始めてイチローが、「はい、わかりました」と、それで決まった、と思ったら、「一つだけお願いがあります」と言うの。

 

 続けて、「僕は今年、いろんなマスコミで報道されたけど、必ず、“オリックスのイチロー” と、オリックスが頭について報道されましたよね。参考のために、この宣伝効果を金額にしたらいくらくらいになるか、一度、電通に計算をお願いしてもらえませんか?」と言うんです。「この野郎、えらいこと言うなあ」と思いましたよ(笑)。

 

――億単位の結果が出ることになってしまいますよね……。

 

井箟 イチローの利口なところは、「いくらくれ」とは言わない。だから、「(金額を)足せ、ということか。いくらや?」と聞くと、「キリのいいところで1本にしてください」と。それで年俸1億円に決めたんだよ。
 

 だけど、そういう経緯があった話だから、会見のときは8000万円とイチローは発表した。だからアメリカに行くまで、実際の年俸と報道の年俸はずっと2000万円の差が出ていたんだ(笑)。

 

野田 イチローって中学時代から株をやってるんですよね。

 

井箟 そうらしいね(笑)。だって、オリックスに入るとき、新聞は何を読んでいるのか、と聞いたら日経を読んでる、と。

 

――考え方に理屈が通っているんですね。

 

井箟 ちゃんと正しい理屈を言うんだよ。財界の人から「テレビを観ていたら、イチローがときどきネクタイをしないで晴れの場に出ている。あれはよくないよ、お前が教育しないと」と言われたことがあった。

 

 それで、すぐにイチローに注意したら、彼は「待ってください。NPBとか、そういうオフィシャルな表彰のときは必ずジャケットとネクタイをしていきます。でも、どこかの会社の広告でスポンサーになってもらったとか、そういう場合はネクタイまではしないですよ。それはいいじゃないですか。向こうも僕を商売で使っているんですから。ネクタイをしないといけない理屈はないと思います」と言うんだよ。

 

 俺も、それはそうだと思った(笑)。あいつの言うことのほうが正しいんだよね。

 

野田 イチローも、オリックスだからよかった。(僕が最初に入団した)阪神だったら、いろんな規制がかかったと思いますよ。

 

のだこうじ 1968年2月9日生まれ 熊本県出身 1987年にドラフト1位で阪神に入団。オリックスへ移籍した1993年は最多勝投手に。「お化けフォーク」を武器に1995年には1試合19奪三振の日本記録を達成。推定最高年俸は、1997年の1億1500万円。現在は神戸市で料理店「まる九」を経営

 

いのうしげよし 1935年3月15日生まれ 岐阜県出身 1959年に丸善石油入社。丸善石油野球部マネージャーの経験を買われ、1989年に球団常務としてオリックス入団。翌年から2000年まで球団代表を務めた。その後、球団顧問などを務め、2002年から関西国際大学で教鞭を執り、現在は名誉教授

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