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土田晃之、ひな壇芸人としての自分を語る。「人生には2回チャンスが来る」

エンタメ・アイドル 投稿日:2021.05.16 06:00FLASH編集部

土田晃之、ひな壇芸人としての自分を語る。「人生には2回チャンスが来る」

土田晃之が通う店。もともとは畳屋さんだったという

 

■MCをサポートする地味なボランチ

 

 なぜ「ひな壇芸人」として存在感を示せるのか。本人は好きなサッカーに喩えた。

 

「僕は『俺が俺が!』と笑いが取れるストライカータイプじゃないんです。そんなセンスも技量もない。かといって、司令塔のように縦横無尽にトークのパスを出して番組を組み立てる司会者タイプでもない。目立たずにMCのサポートをする地味なボランチだと思っています。

 

 たとえば、ひな壇で新人の人がなかなかしゃべれないでいたら『このコ、ずっともじもじしていますよ』と言ったりすれば、その人がフィーチャーされ、少ししゃべれるチャンスが作れる。

 

 僕は自分の仕事もしつつ、まだバラエティに慣れていない人とMCをつなげる役割もしなければと思っています」

 

 番組でMCと出演者の “縁” をつなぐことを大切にするこの感覚は、ダチョウ倶楽部の上島竜兵と飲む「竜兵会」で培われたのだろうか。

 

「それはないです(笑)。竜兵会の始まりは1995年だったかな。日本テレビの『THE夜もヒッパレ』(1995年~2002年)に太田プロの芸人がオールスターズとして出演して、番組終了後に飲みに行くことになったときのことです。

 

 そのときの最年長は、笑福亭笑瓶さんでしたが、『わしは、ええわ』と帰ったので、結果的に年長だった上島さんの名前が飲み会の名称になったんです」

 

 竜兵会の主要メンバーといえば、土田と有吉弘行だろう。

 

「有吉は仕事がないとき、(上島に)15日連続でつき合っていました。メシも食えますからね。僕は多いときで週5。夜の6時ごろに始まって朝まで飲みます。

 

 それだけ一緒にいればおもしろいことも起きるんですよ。若いころ、悩みを相談しようと思ったら、上島さんが先に泣きながら『俺はこれからどうしたらいいんだろ~』って。『お前が相談してくるのかよ』って(笑)。

 

 上島さんをひと言で言うと? お笑いのカリスマですよ(笑)。生き残るのが大変な芸能界で、30年以上も生き残っている。大天才です(笑)」

 

 U-turnの結成から30年、土田は自身の芸人人生を「まあまあよかったなと思います」と振り返る。

 

「若いときは “高み” を目指していたけど、今は自分の能力の身の丈に合ったポジションにいるのかなと思います。早くに結婚して子供ができたこともよかったのかな。

 

 ネプチューンの原田泰造に『お前は結婚して守るものができたら仕事が頑張れるタイプだ』と言われたんです。

 

 今思えば、本当にそうだったなと。これからも、いただける仕事を頑張るだけですね(笑)」

 

 ほろ酔いの土田は、店を出ると、「じゃあ僕、歩いて帰りますから」と笑った。

 

「ネタですか?」と記者が聞くと「いつものことです。ここから家まで歩いて約2時間で帰れます」。そう言って、土田は夜の街に消えた。

 

「この店構え、ザ昭和です」(土田晃之)

 


つちだてるゆき 
1972年9月1日生まれ、埼玉県育ち 1991年、お笑いコンビ「U-turn」を結成。ガンダム、サッカー、 白物家電などに詳しく、『土田晃之 日曜のへそ』(ニッポン放送)、『ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(TBS系)、『そこ曲がったら、櫻坂?』(テレビ東京)などに出演中

 

【焼き鳥 幸侍 尾崎畳店】 
・住所/東京都中央区佃2-16-11 
・営業時間/16:00~23:00(L.O.22:30)
・休日/日曜日 ※新型コロナウイルス感染拡大により、営業時間・定休日が記載と異なる場合があります

 

写真・野澤亘伸 

 

(週刊FLASH 2021年5月11日・18日号)

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