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いしのようこ 居心地の悪さを感じたアイドル時代…志村けんさんが見出した「コメディエンヌの才能」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.11.13 11:00 最終更新日:2022.11.13 11:00

いしのようこ 居心地の悪さを感じたアイドル時代…志村けんさんが見出した「コメディエンヌの才能」

いしのようこ

 

 

 東京・千歳船橋の人情味あふれる商店街の端に燻製居酒屋「KIRIN」がある。

 

「お酒は飲まないのですが、ここの料理は美味しくて大好きです。〆として食べる人が多い、汁なし韓国冷麺のチョルミョンはピリ辛でクセになります」とデビュー当時と変わらない笑顔を見せる、いしのようこの馴染みの店だ。

 

 彼女はアイドルだった姉・石野真子の収録現場に遊びに行ったときにスカウトされた。学生時代は芸能人になるなんて考えてもいなかったという。

 

 

「人前に出るのが得意ではなかったので、アイドルになるなんて想像もしていませんでした。ただ、あれよあれよとなりゆきでデビューすることになり……。当時はえらいことになってしまった! という思いでいっぱいでした。

 

 ちなみに、歌手デビューが決まったときは、社長室で泣いて嫌だと言いましたが、何をいまさらという感じで(笑)。気づけば、私の芸能生活は怒濤の如く始まっていました」

 

 アイドル全盛期の1985年に『テディーボーイ・ブルース』でデビュー。同期は、中山美穂斉藤由貴南野陽子といった錚々たる顔ぶれ。

 

「オーディションを受けて入ってきた人は、自分の夢をかなえてここで輝くんだという強い思いがあって、私はその人たちに対してどこか後ろめたさを抱えていました。心のどこかで引いているというか。ごめんなさいって思っていました。

 

 当時のアイドルは同世代で仲がいいけど、それぞれがライバル意識を持っていて。いつもは控室が学校みたいで楽しいけど、賞レースが近づくとピリピリするという。そんな空間にどこか居心地の悪さを感じていました」

 

 そんないしのは、デビュー1年後に『セーラー服通り』(1986年、TBS)でドラマ初主演することに。そこで自分の居場所を見つけることになる。

 

「前に出ることに二の足を踏んでいた私にとって、作品の駒のひとつとして存在すればいい俳優は、アイドルと比べてすごくしっくりきました。

 

 そして先輩方を見て、各々のスタンスで作品に関わればいいとわかり、足並みを揃えることに悩んでいた自分はすごくラクになれたのを覚えています」

( 週刊FLASH 2022年11月22日号 )

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