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山下真司 躊躇していた『スクールウォーズ』への出演…「『ダサい』と言われること怖かった」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.12.18 11:00 最終更新日:2022.12.18 11:00
■出演を躊躇していた『スクールウォーズ』
その後もNHKの連続テレビ小説『おしん』(1983年)、『花咲け花子』(1981~1982年、日本テレビ)などで存在感がある役を演じ、ついに『スクール☆ウォーズ~泣き虫先生の7年戦争~』(1984~1985年、TBS)で主役の座を射止めた。
「少し前にこの作品の制作会社だった大映テレビさんのドラマに出ていたので、そのご縁でお声をかけていただいたと思います。だけどラグビー経験はないし、内容も実話に基づいているので躊躇がありました。
山口良治先生もそうですが、モデルになっている生徒さんは実在します。その皆さんがドラマを観て『なんだよ、これ。ダサいな』と言われることがすごく怖かった。『俺はその責任を背負えるのか』と迷いました」
撮影前、山下はあえて山口氏に会うことを遠慮した。それは「実話だけど、イメージは俺のままで」と考えたからだ。制作側からは山口氏と同じようにスポーツ刈りにすることも提案されたが断わった。大勢いた生徒役には「ただ映り込むだけのエキストラにはなってほしくない」と、実際の試合前におこなわれたミーティング映像を見せて「選手の目に負けない演技をしよう」と気持ちを共有した。
「続編も含め4年にわたり出演させていただきました。(役の)滝沢はよく泣いていましたね。あの泣くシーン、悔しいとか悲しいとかの涙はすぐに流せましたけど、嬉し涙が難しかったんです。日常生活であまり流すことがないですから。でも、3カ月を過ぎたころには自然と泣けるようになりました。俺自身、もともと泣き虫だったのかもしれません。その本質というか、人間性が役にリンクしたようです。泣き癖がついたのか、ドラマが終わってからもすぐに泣いてしまって。麻倉未稀さんが歌った『ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO』も大ヒット。しばらくはプライベートでこの曲がかかると、すぐに “素” から『滝沢賢治』になりました」
多くの名言も生まれ、社会現象になった。山下は0対109で惨敗した回の『お前らゼロか? ゼロの人間なのか? 何をやるのもいい加減にして、一生ゼロのまま終わるのか? それでいいのか? お前らそれでも男か? 悔しくないのか』が思い出深いと言い、「あのシーン、あの言葉がドラマの方向性を決めたと思うし、皆さんの記憶に残るドラマになったのではないでしょうか」と振り返る。
ファッショナブルで若々しい山下だが、12月16日で71歳になる。
「以前は75歳まで役者を頑張ろうと思っていましたが、今は80歳までと思い直しました。『あれをしたい、これをしたい』と考えても現実にならないことが多いですけど『いただいた仕事を期待以上のものにする。今日の仕事を一生懸命』という気持ちはずっと変わっていません。『いつも不安ばかり』ということも変わっていませんね」
苦笑しながらビールをお代わりした。
やましたしんじ
1951年12月16日生まれ山口県出身 『太陽にほえろ!』にスニーカー刑事役で出演。以降、NHK連続テレビ小説『おしん』(1983年)、映画『プルメリアの伝説 天国のキッス』(1983年)、ドラマ『スクール☆ウォーズ』(1984年)、『男女7人秋物語』(1987年、ともにTBS)、NHK大河ドラマ『春日局』(1989年)などに出演。『くいしん坊!万才』(フジテレビ系)の9代目レポーター(1994~1997年)を務めるなど、情報番組やバラエティ番組でも活躍する
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