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『どうする家康』出演中の波岡一喜 苦悩を救った親友・上地雄輔の言葉「二番の俳優って大切」

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.03.12 11:00 最終更新日:2023.03.12 11:00

『どうする家康』出演中の波岡一喜 苦悩を救った親友・上地雄輔の言葉「二番の俳優って大切」

波岡一喜

 

「ふぐは大阪人にとってはソウルフードなんですよ」

 

 ふぐを前にした波岡一喜の表情はとてもやわらかい。

 

「大阪のミナミに黒門市場という商店街があるんです。そこで捌いたふぐを買ってきて家でてっさや、てっちりをよく食べていました。東京は意外とふぐ屋さんって少ないじゃないですか。しかも銀座の高級店とかになるんですよね。僕もしょっちゅう来られるわけではないので、自分が頑張ったときのご褒美みたいな感じで来ています」

 

 

 恵比寿駅から歩いて数分。飲食店が軒を連ね、多くの人で賑わう一角に「しゃぶ焼 ふくのや」はある。波岡が「さっぱりしていて焼き肉みたいに食べた後に罪悪感がない」と話す「ふぐ焼き」を食せるのもこの店の特徴だ。

 

「焼きが食べられる店はなかなかないんですけど、ヘルシーでいいんですよ。網にのせて焼いているときのこの香りがいいでしょ。タンパク質が多いし、健康になってる感じがするんです」

 

 ふぐといえばヒレ酒だが……。

 

「お酒はめっちゃ飲むんですけど、日本酒は翌日残るのでふだんはやめてます。麦焼酎のお茶割りが定番です(笑)」

 

 強面のイメージが強い波岡だが、幼稚園までは気弱。途中で登園拒否になり、最後まで通わなかったという。それが小学校入学前に幼馴染みから「第一声で大きな声を出せ」など、強くなるコツを教わって変わった。ついには「体も大きかったので嫌われるぐらい強かったです」とちょっとしたガキ大将に。小学5年生のとき、やんちゃ盛りの波岡に「俳優になりたい」という思いが突然、芽吹く。

 

「初めて観たドラマが『東京ラブストーリー』(1991年、フジテレビ)で、これがすごくおもしろかったんです。なんとなく人前に出たいという気持ちもあったので、楽しそうなテレビの世界へ行ってみたいと漠然と思いました」

 

 高校入学と同時に俳優養成学校にも所属。演技の勉強をしながら現場に行ったりもしていたが、「東京に行かないと俳優にはなれない」と耳にする。

 

 母親に気持ちを伝えると、母親が出した条件は大学に行くことだった。

 

「それまで遊び呆けてまったく勉強をしていなかったので、浪人して予備校の寮に入って、1年間だけみっちり勉強しました。毎日10時間勉強したらどんどん成績も上がって。早稲田大学と一橋大学に合格したんですが、俳優になるならと、早稲田へ進みました」

 

 入学後、厳しいことで有名な演劇研究会に入会。その後は憧れの存在だった松田優作の足跡を追って文学座に入る。それぞれ1年ほど経験を積み、自分で探した現在の事務所に入ったのが24歳のときだ。

 

「初めての映像の仕事が木村拓哉さん主演のドラマ『プライド』(2004年、フジテレビ)でした。数字を取った最高峰のドラマの現場を経験させてもらって、映像の現場はこういうことかって。そのころに映画『パッチギ!』のオーディションを受けて、地獄のシゴキのある “井筒学校” に飛び込ませてもらいました」

 

 芝居とは何か、舞台とテレビとはどう違うのか、台本をどう読むべきなのかーー。

 

「16歳から芝居をしてきたつもりでいたのに、25歳で何もできないのかと。芝居のイロハを、井筒(和幸)監督に教えていただきました。山ほど叩き込まれたなかでも『手ぶらで来るな』『ト書きを読め』は今でも実践しています。要は台本を読むだけではなく、自分でちゃんと考えて来いと。ト書きにこそ意味があるんだと。当時は井筒監督が半径5m以内に来ると警報が鳴るぐらいでしたけど、今は本当に恩人だと感謝しています」

( 週刊FLASH 2023年3月21日号 )

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