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日本武道館「100回公演」目前!原宿好きとんかつ好きのエリック・クラプトン、何がそんなにすごいのか?

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.04.15 16:19 最終更新日:2023.04.19 12:45

日本武道館「100回公演」目前!原宿好きとんかつ好きのエリック・クラプトン、何がそんなにすごいのか?

写真:Backgrid/アフロ

 

 現在、来日中の超大物アーティストエリック・クラプトン(78)。4月15日から24日にかけて、日本武道館で全6回の公演をおこなう予定だ。

 

 2019年の来日ツアーが終了した時点で、武道館の通算公演回数を96回としたクラプトンは、今回のツアー中の4月21日(金)に武道館100回公演を達成する。これは海外アーティストとして初の快挙となる。

 

 

 ちなみに、現在、日本武道館の最多公演記録を持つアーティストは矢沢永吉で、149回。次いで松田聖子が121回、藤井フミヤが110回(チェッカーズ時代の51公演を含む)。海外アーティストでは2位のブライアン・アダムスが24回ということを考えれば、クラプトンの100回超えが、いかに快挙かがわかるだろう。

 

ギターの神様」と呼ばれ、2023年1月10日に逝去したジェフ・ベック、ジミー・ペイジとともに「世界3大ギタリスト」の1人と言われるクラプトンだが、若い世代にはピンと来ないだろう。いったい、クラプトンは何がそんなにすごいのか? 音楽誌『ヤング・ギター』で執筆する音楽ライターの尾谷幸憲氏に聞いた。

 

「僕自身もそうでしたが、最初はエリック・クラプトンのすごさがわからなかったし、そういう人は多いと思うんです。なぜなら、すでに確立されたロックを聴いて育っているから。

 

 だけど、大人になってロックの歴史を紐解いていくと、全部クラプトンが先にやっていたことを知るんですよ。つまり、いまは確立されたロックの開祖が、エリック・クラプトンなんです。

 

 いろいろアルバムを聴いてみると、常に時代の最先端をやっていて、それをその都度ちゃんと流行らせている。僕も40歳ぐらいで、そこに気付いたんですよね。そういう意味で、若い人にはなかなかすごさが伝わりにくいところはあると思います」

 

 プロデビューは、1963年。イングランドのロックバンド「ヤードバーズ」のギタリストとしてプロデビューしたクラプトンは、1965年、ブルースバンド「ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ」に加入。そこで、音楽界で誰もやっていなかったことを敢行する。

 

「レスポールのギターとマーシャルアンプの組み合わせで、マーシャルをフルボリュームにしてギターを弾くということをやったんです。アンプのボリュームを全開にするとギターの音は歪むんですけど、大音量で歪んだギターを演奏する人はそれまでいなかった。

 

 いまでこそロックでは当たり前となった歪んだギターの音は、クラプトンによって誕生したんです。そういう意味で、ロックギターの神というか開祖であり、当時はロンドンの街中に『クラプトン・イズ・ゴッド』という落書きがされたほどです。

 

 極端な言い方をすれば、世の中のすべてのギタリストはクラプトンから直接的、間接的に影響を受けている。歪んだギターの音がクラプトンから始まっていると考えれば、むしろ影響を受けていない人はいないと言い切れるでしょう」(尾谷氏)

 

 1966年には、バンド「クリーム」を結成。『サンシャイン・オブ・ラブ』などのヒット曲も生まれ、アメリカでも人気を博す。

 

 クラプトンの、大音量で歪んだギターでロックを演奏するスタイルは、のちの「レッド・ツェッペリン」や「KISS」「ヴァン・ヘイレン」などのハードロックの原型となった。

 

 また、レゲエのボブ・マーリーの才能にいち早く気づき、彼の楽曲『アイ・ショット・ザ・シェリフ』をカバー。全米ナンバーワンになったほか、1980年代には坂本龍一作曲のYMOの楽曲『ビハインド・ザ・マスク』をカバーしたりと、新しいものに対する嗅覚は非常に優れていた。

 

 一方で、私生活が非常に波乱万丈だったことでも知られており、1971年発表のヒット曲『レイラ(いとしのレイラ)』は、元ビートルズのジョージ・ハリスンの妻、パティ・ボイドに対する禁断の恋を歌った曲だ(その後、ボイドはジョージと離婚し、クラプトンと結婚するも離婚)。

 

 重度のドラッグ依存やアルコール依存に苦しんだ時期もあったが、それらを乗り越えてキャリアを積み重ね、1993年のグラミー賞では、事故で亡くした息子を歌った曲『ティアーズ・イン・ヘヴン』で主要3部門を受賞。1997年のグラミー賞では主要2部門を受賞した『チェンジ・ザ・ワールド』をミリオンヒットさせている。

 

 また、クラプトンが1992年に発売し、のちのアンプラグドブームを決定づけたといわれる『アンプラグド〜アコースティック・クラプトン』は、全世界でのトータル・セールスが2600万枚を超え、「世界で最も売れたライブ・アルバム」としてギネス記録を樹立している。

 

 そんな数々の偉業を成し遂げてきたクラプトンは、実は大の親日家だ。

 

「来日するたびに立ち寄る原宿のとんかつ屋さんがあるのは、ファンの間では有名です。クラプトンはファッションリーダー的な側面も持っていて、1990年代後半あたりからは、来日するたびに裏原宿で買い物をしていました。藤原ヒロシさんとは家飲みするほどの仲だそうで、実は裏原系だったんです(笑)。

 

 さらに1990年代から2000年代にかけては、日本でのライブもないのに、K-1やPRIDEを観るためだけに来日していました。一説には、武道館のライブをやるのは、格闘技観戦と洋服購入と、とんかつ屋に行くためじゃないかと言われているほどです。来日回数が多いのは、そういうことも関係しているのかもしれないですね」(尾谷氏)

 

 音楽サイト『otonano PORTAL』によれば、来日公演200回を達成した2014年の武道館ライブの最終日、クラプトンは「レイラ」の間奏でこう語ったという。

 

《僕はもう40年もここ(武道館)に来ている。皆さんのうちの何人かが生まれるよりも前からだよ。ここは僕が演奏してきた中で最高の場所だ。僕をここに招いてくれてありがとう》

 

 4月21日に武道館100回公演を達成するクラプトンは、今回のツアー最終日で通算公演回数が102回となる。これが最後の来日ツアーとなるかどうかはわからないが、今後、クラプトンの記録を塗り替える海外アーティストは、おそらく出てこないのではないだろうか。

( SmartFLASH )

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