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松本明子 放送禁止用語発言、コロナ禍も “体当たり” …ピンチのときも “楽しんで” 乗り越える
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.07.30 11:00 最終更新日:2023.07.30 11:00
東京・杉並にある小料理店「やなぎ亭」のいつもの席に、松本明子はいた。
「四国出身なので魚にはうるさいのですが、お刺身もプリプリですごく美味しい。季節に合ったメニューも多く、冬にはお鍋や肉豆腐でおなかいっぱいになっています」
松本は慣れた手つきで焼酎のソーダ割りを作り、一口飲んでから波瀾万丈の芸能人生を振り返った。
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幼少時代の松本の夢はアイドル歌手だった。テレビの中で歌うアイドルたちにあこがれて、地元ののど自慢大会にも出場。中学卒業後には、親の反対を押し切って上京する。
「とにかくテレビの中に入って歌いたいという気持ちが強かったです。でも、父親が東京に行くことに大反対。最後は母親が『娘の夢を応援してあげて。そうでないと離婚するわよ』と説得してくれて、上京することができました。
母親も昔は歌ったり踊ったりするのが好きで、自分ができなかった夢を私に託したみたいでした」
1983年にシングル曲『♂×♀×Kiss(オス・メス・キッス)』で念願のアイドルデビューをするも鳴かず飛ばず。すぐ人気者になれると思っていただけにショックが大きかった。
「1年先輩が、松本伊代ちゃんや中森明菜ちゃんら “花の ’82年組” と呼ばれるスター揃いの年。まったく売れない私との格差をすごく感じました。仕事がないから高校は “皆勤賞” 。生徒会の役員にもなり、しまいには(将来を考えた)先生から大学進学を薦められる、と芸能人とは思えない学園生活でした。忙しくて学校に来られない同級生の所属事務所にテスト範囲のノートをFAXしたり、仲がよかった堀ちえみちゃんの上履きが盗まれたら、こっそり購買部で買って補充したりと、売れっ子のお世話ばかり……。もちろん、悔しかったです。
今振り返ってもかなりつらい毎日でした」
そんな松本を有名にしたのが、デビュー1年後に出演したバラエティ番組『オールナイトフジ』(1983~1991年、フジテレビ)だ。だが、松本は生放送中に放送禁止用語を発言。放送事故になり、謹慎生活を送ることになった。
「(片岡)鶴太郎さんと(笑福亭)鶴光さんに、『この言葉を言ったら有名になれるかもしれないぞ』と言われ、売れたい一心で言ったんですよ。お二人は冗談のつもりでおっしゃったのですが……。言った瞬間、スタッフに羽交い締めにされてスタジオから出されました。次の日には一般紙でも『新人歌手が放送にふさわしくない言葉を発言』と記事になっちゃって。前代未聞。こんなことになるとは想像もしていませんでした」
決まっていた仕事はなくなり、実家に帰ろうと電話をかけた。
「泣きながら電話をしたら、母親に『有名になれてよかったじゃない。歌手というカテゴリーにとらわれず、いろんな仕事をして名前を覚えてもらいなさい』と言われて。これには驚きました、心強かったです。それでまだやめられない、タレントを続けようと思いました」
東京のキー局はすべて出入り禁止の状態だったため、地方局の仕事やデパートの屋上での営業で活動を再開した。その姿を事務所の先輩・中山秀征が見ていた。
「中山さんらしく、シャレを言って私を励ましてくれたり、慰めてくれたり、笑わせてくれたりして。本当に中山さんがいなければ今の自分はいなかったと思います。バラエティ番組に出るようになったきっかけも中山さんです。当時、歌手班にいた私を、『新曲も出さないし、居心地悪いでしょ。バラエティ班に移ってきたら?』と声をかけてくれて。そこからレポーターをやったり、ものまねをするようになりました」
■ “アポなしロケ” で最強バラドルに
1990年代は、バラエティ番組のほか、ドラマの主役にも抜擢されるなど、 “バラドル” として活躍。なかでもMCを担当した『進め!電波少年』(1992~1998年、日本テレビ)は、深夜番組で異例の高視聴率を記録。ブレイクを果たした。
「(電波少年は)3カ月間の穴埋め番組としてスタートしたのですが、松村(邦洋)くんの『渋谷のチーマーを更生させたい』という企画がウケて。私も『PLOのアラファト議長とデュエットしたい』とガザ地区に行ったりと、体当たりでアポなしロケをしました。コンプライアンスゼロ時代で、めちゃくちゃでしたが楽しかったです」
何が起こるかわからないスリリングさがウケて、 “アポなしロケ” は松本の代名詞に。
「当時はとにかく使命感を持ってやっていました。松村くんもですが、まだ大化けする前の出川哲朗さんや山崎邦正さんやキャイ~ンさんなど、戦友ともいえる芸人さんたちがおもしろいVTRを撮ってくるんですよ。それを観ては負けたくないと思って。いいライバル関係でしたね」
松本は結婚、出産、子育てをしながらもバラエティ番組の最前線で活動。今もなくてはならない存在だ。
7月には、日々のケチな生活を楽しむエッセイ『この道40年あるもので工夫する 松本流ケチ道生活』(アスコム)を上梓(じょうし)した。
「スーパーで野菜を買ったポイントで、衣料品売り場でワンピースを買うのが大好きなんです。そんな私なりの楽しい節約術をまとめました。趣味感覚で楽しむ節約のコツが詰まっています」
だが、コロナ禍では “放送事故” 以来のピンチを迎えた。
「仕事でロケが全部なくなりました……。先が見えずに不安な毎日を過ごしていたとき、山登りにハマりました。
最初は近郊の山だったのですが、次第に北アルプスに登りたくなって。で、登ったら、移動代と前泊のホテル代、登山口までのレンタカー代などがバカにならない。何かいい案を……と思ったら、車中泊できる軽自動車を見つけて。でも自分一人だけ使うのはもったいないと思い、副業でレンタカー事業を始めました。芸能の仕事がないときはこっちの仕事をして、充実した毎日を過ごしています」
9月にはデビュー40周年を記念し、同期の大沢逸美、森尾由美、桑田靖子、小林千絵、木元ゆうこ、徳丸純子(VTR出演)とライブを開催することになっている。
「10年くらい前に、大沢逸美が番組で『同期に会いたい』と言ってくれて、それをきっかけにつながりました。あのころのみんなとまた一緒にできるのは楽しいです。
そういえば、最近すごい驚いたことがあったんですよ。カラオケ屋さんの曲リストに私の曲は4曲しか入っていなかったのですが、1曲増えていたんです。で、見たらデビュー曲が追加されていて。すぐに歌っちゃいました(笑)」
ピンチでも “楽しみ” を見つけるポジティブ思考。松本は前に進む!
まつもとあきこ
1966年4月8日生まれ 香川県出身 1983年に歌手デビュー。『ものまね王座決定戦』(フジテレビ)では “ものまね女四天王” と呼ばれるなどバラエティ番組に積極的に出演。また、情報番組やドラマなどでも活躍。7月13日に『この道40年あるもので工夫する 松本流ケチ道生活』(アスコム)を上梓した
【やなぎ亭】
住所/東京都杉並区方南2-13-11
営業時間/17:00~23:30(L.O.22:00)
定休日/日曜
写真・木村哲夫
ヘアメイク・桜井章生