7月31日に保釈となり、大学病院に入院していた市川猿之助。9月1日には、『NEWSポストセブン』が、お盆明けに退院していたこと、たびたび自宅から外出していることなどを報じている。
その猿之助を支えるため、「澤瀉屋(おもだかや)」が奔走しているという。歌舞伎関係者が明かす。
「猿之助さんは退院後、あの事件があった実家に戻られたようですね。以前から喜熨斗(きのし)家で故・段四郎夫妻の身の周りの手伝いをしていた方と、事務所の “東京番” の人が世話をしているようです。そんななか、とりわけ猿之助さんに目をかけているのが、香川照之さんなんです」
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本誌は、保釈翌日の8月1日、香川が猿之助と面会したことを報じている。引退の意向を示す猿之助に、香川が、そして松竹が “説得” を試みていたのだ。そして、その動きはいまでも続いている。
「香川さんと松竹の『澤瀉屋班』の方は、現在、公演のため京都にいます。しかし、香川さんは公演が1回のみの日や、休演日に東京にとんぼ返りして、猿之助さんに会いに戻っている。また、猿之助さんのために美容師を派遣したりしているといいます。
また “間違い” を起こしてしまわないか、そういった監視の意味合いも強いと思います。松竹も金銭面で面倒を見ると決めているようですし、やはりみんな復帰させたいんでしょうね……。
猿之助さんの “遺書” にもあった、マネジャーで俳優のA氏とは、『絶対に連絡を取ってはダメだ』と香川さんが口を酸っぱくして伝えているようです」(前出・歌舞伎関係者)
猿之助が “一家心中騒動” を起こした日、一報を聞いた香川は号泣したという。
「香川さんと猿之助さんの関係は、かねて深かったことで知られています。猿之助さんが2007年、NHK大河ドラマ『風林火山』でテレビドラマに初出演した際は、香川さんが『いとこの亀治郎(当時)をよろしく』とあいさつまわりしていました。
一方、香川さんが市川中車を名乗って歌舞伎に挑戦した際に、サポートしたのが猿之助さん。2人の関係はいわば “盟友” です」(同前)
香川は事件後、「自分が澤瀉屋を率いていく」と周囲に宣言したとも報じられている。
「澤瀉屋の座員たちを食わせていくには、やはり稼がないといけませんからね。香川さんも、現場ではずいぶん謙虚に立ち回っているようです。スケジュールに融通が利くようになったら、テレビや映画出演にも再び意欲を見せるのではないでしょうか」
8月25日、公式サイト上で《目の前にある成すべきこと、挑むべきことに向かって邁進する所存でございます。》と決意を新たにしていた香川。澤瀉屋の柱となって、猿之助を再び舞台にあげることはできるか。
( SmartFLASH )