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飯豊まりえ『何曜日に生まれたの』肩透かし感あるも…脚本家の「過去の自分へのカウンター」とみれば腑に落ちる最終話【ネタバレあり】

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.10.09 21:30FLASH編集部

飯豊まりえ『何曜日に生まれたの』肩透かし感あるも…脚本家の「過去の自分へのカウンター」とみれば腑に落ちる最終話【ネタバレあり】

 

 二重の意味で「予測不能」なドラマだった。

 

 飯豊まりえがゴールデン・プライム帯の連続ドラマ初主演を務める『何曜日に生まれたの』(テレビ朝日系)が、10月8日に最終話(第9話)を迎えた。

 

『101回目のプロポーズ』(1991年/フジテレビ系)、『ひとつ屋根の下』(1993年/フジテレビ系)、『高校教師』(1993年/TBS系)、『未成年』(1995年/TBS系)など、1990年代に大ヒットドラマを量産していた脚本家・野島伸司が、地上波連ドラでは5年ぶりに手がけたオリジナルストーリー。

 

 

 筆者は90年代の野島作品のファンであり、その視点で本作の最終考察をさせていただく。ネタバレありで解説するので、未視聴の方はご注意を。

 

■【ネタバレあり】序盤は高校時代の片想い相手との再会

 

 本作は公式サイトで、《ラブストーリーか、ミステリーか、人間ドラマか、社会派か。先が読めない予測不能の衝撃作》と謳われていた。確かにラブストーリーであり、ミステリーであり、人間ドラマであり、社会派でもあり、そして予想を大きく裏切られる展開だった。

 

 主人公は、高校時代に同級生男子と乗っていたバイクで悲惨な事故にあい、それ以降の10年間、引きこもり生活を送っていた27歳の黒目すい(飯豊)。

 

 売れない漫画家の父(陣内孝則)が担当編集者(シシド・カフカ)から、娘を題材にした漫画の作画担当の話を持ちかけられる。すいは、大ベストセラー作家・公文竜炎(溝端淳平)が原作を担当するその恋愛漫画のモデルになることを引き受けた。

 

 実はバイク事故で同乗していた男子は恋人ではなく、すいにはほかに好きな男子がいたのだが、そんな片想い相手をはじめとした高校時代の友人たちと再会して物語は進んでいく。

 

■「野島伸司がやわな脚本を書くわけがない」という先入観

 

 さて、確かに予想がかなり難しいストーリーだった。

 

 バイク事故の男子は亡くなっていたのかと思いきやピンピン生きているし、好きなほうの男子との恋愛展開になるかと思いきや、そういうストーリーではなかった。

 

 そして、序盤ではすいとの恋愛フラグがほとんど立っていなかった公文だが、後半に入ってビンビンにフラグが立ち始め、最終話ですいと公文が相思相愛になりハッピーエンドとなった。

 

 このようにセオリーの逆をいく展開が多く予測が困難だったのだが、二重の意味で予測を難しくさせたのが、「野島伸司がそんなやわな脚本を書くわけがない」という先入観。

 

 キレッキレの90年代の野島脚本は、重要キャラが死んでしまったり強姦されたりと、物語を大きく揺さぶるショッキングな展開が起こることが多かった。バッドエンドのような終幕になった作品もあったし、ハッピーエンドになるにしてもたいていは大事件を乗り越えてのフィナーレだった。

 

 たとえば、かつての野島作品なら、バイク事故の男子が元気に平然と登場することなんてなかっただろうし、すいと公文の普通にさわやかなラブラブシーンで終わるなんてこともなかった気がする。

 

 ちなみに第8話は、公文がファンに刺されてしまったようなシーンで終わったが、最終話序盤ですいの父がかばって代わりに刺されていたことがわかる。ただ、父も命に別状はなく、あっさり退院するのだ。

 

 物語全体において、もっと過激な展開になるだろうと思い込んでいたので、予想を裏切られ、肩透かしを食わされた感じだった。

 

■栄華を極めていた過去の自分へのカウンター?

 

 野島ファンである筆者の勝手な先入観なども絡んでいたため、「予測不能」だったが、終わってみれば主人公と2番手キャストがひっついて幸せになるという王道のハッピーエンド。

 

 ちなみに、ほかの主要キャラたちも何組かカップルが成立しており、全方位的に幸せな結末を迎えるフィナーレだった。

 

 重く暗い設定で観ている側も鬱々としてしまうような展開や、視聴者が驚愕を通り越して茫然としてしまうような展開がウリだった、かつての野島作品と比べると、『何曜日に生まれたの』のセンセーショナルさは小粒だ。

 

 ……だが、それこそが今作における野島伸司の狙いだったのかもしれない。

 

 最終話の序盤で、すいが「なにがあってもみんな無事。命に別状なんかない。そんなハッピーな世界線があったらいいな」と語っていた。そして実際、本作はその言葉どおりのフィナーレとなった。

 

 この主人公のセリフこそが『何曜日に生まれたの』のテーマだったのではないか。

 

 これまでさんざん悲惨で残酷な世界線(作品)を創ってきた脚本家が、登場人物の誰もが穏やかで幸せにいられるようにと創った世界線が本作だと仮定すると、腑に落ちることは多い。

 

 きっとこのドラマは、野島伸司自身が、栄華を極めていた過去の自分へのカウンターとして放った物語だったのだ。

堺屋大地

恋愛をロジカルに分析する恋愛コラムニスト・恋愛カウンセラー。『日刊SPA!』に恋愛コラムを連載中。ほに『現代ビジネス』『文春オンライン』『集英社オンライン』『女子SPA!』などにコラムを寄稿

( SmartFLASH )

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