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朝ドラ「虎に翼」で好演の高橋 努、蜷川幸雄氏に見出された個性派俳優「台詞を言えるだけで、生きているぜ! って喜びがある」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.04.07 11:00 最終更新日:2024.04.07 11:00
「飲んでいいんですか?」
破顔すると同時にジョッキを傾け、ゴクッゴクッゴクッ。ビールは ”喉越しで飲む” というが、そのお手本のような飲みっぷりで、見ているこちらも気持ちがよくなるほどだ。
高橋努が開店当初から通っているのが、東京・三軒茶屋にある「福一(ぷくいち)」。広島・府中市で愛されてきた「府中焼き」を楽しむことができ、店主とは20年来のつき合いになる。
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「府中焼きは、僕もここで初めて知ったんですよ。関西風のお好み焼きとはちょっと違ってカリカリの麺が特徴です。府中焼きの『ずり玉』は珍しく、砂肝が入ってるんですよ。これが美味しくて、毎回食べてます。僕はいわゆる“酒飲み”なんで、主食というよりはアテになるものがよくって。
最初はビールからいきたいんですが、糖質を気にして焼酎から始めます。体を壊さない限り、このまま飲み続けていくと思います」
幼いころからサッカーをしていた高橋は、プロを夢見ていた。だが、ある選手と対戦し、現実を突きつけられた。
「高校2年のときに大船渡高校と試合をしたときに、1年生だった(のちにサッカー日本代表になる)小笠原満男選手がいたんです。試合は僕たちが1対0で勝ったんですが、彼からまったくボールが取れなかった。こういう選手が日本代表になるんだなという、ある意味の挫折を味わって。大学はサッカー推薦で進みましたが、サッカーへの夢は断たれました」
目標がなくなり、大学卒業後はフリーターになった。
「何をやりたいのかわからなくて。体育の教員免許を取得しましたが、大学卒業後は3年ぐらい居酒屋でバイトをしていました。そんなときによく観ていたのが『男はつらいよ』。寅さんの映画が大好きで、渥美清さんが巨大スクリーンにどアップで出ているのに、めちゃめちゃ憧れていて。ちょっと僕と顔が似てると思ったり(笑)。寅さんの影響もあって、俳優をやってみようという気持ちになりました」
一念発起して芸能事務所の養成所に入所した。しばらくして蜷川幸雄氏の劇団「ニナガワカンパニー」のオーディションに合格。2005年、舞台『メディア』のアンサンブルで初舞台を踏んだ。
「蜷川さんにはめちゃくちゃ叱られました。『メディア』の稽古のときに『バイトは何をやってるんだ?』と聞かれて『居酒屋です』と答えたら、『バイトなんかしてるから、フリーターみたいな顔をしてるんだ』と言われたんです。
自分でも確かにな……と思ったんです。役者以外でお金を稼ぐのはやめようと思って、翌日、バイトをやめました」
生活は厳しくなったが、それから二度とアルバイトはしなかった。そんなとき高橋にある葛藤が生まれた。
「自分には、役者は芝居で台詞をしゃべってなんぼだっていう思いがあって。でも、蜷川さんに1カ月ほどのイギリス公演に連れて行ってもらったときも、アンサンブルなので『おお!』という台詞しかないんです。これは役者の仕事なのかと悩みました。それで自分の劇団を立ち上げたんです」
2007年、演劇チーム「渋谷ハチ公前」を旗揚げ。高橋は主演を務めながら、脚本、演出から美術、小道具、稽古場の予約やチケット販売まですべてを一人でこなした。
ある日、思いもよらぬことが起きる。
「蜷川さんが劇団のチラシを持ってきて『この高橋努はお前か?』と聞いてきて。『違います』と嘘をついたんですが、すぐにバレまして。僕はどっちも頑張りますと粘ったんですが『ここはニナガワカンパニーで高橋カンパニーじゃない。高橋カンパニーがあるならそっちでやれ』と。クビです。目の前が真っ暗になりました。あとで知ったのですが、蜷川さんには僕は “外” でやったほうがいいという思いがあったようでした。『おまえの顔と芝居の仕方は日本では売れないから、イギリスに行け』とずっと言われてましたし」
この言葉は数年後に現実となる。蜷川氏が晩年、海外公演をおこなうほど心血を注いだ舞台『海辺のカフカ』のイギリス公演でのことだ。
「イギリスでは楽屋口やパブでファンが待っていて、そこへ役者が行ってサインをしたり写真を撮る文化があるんです。楽屋口を出ると、僕のサインを求める行列ができていて。もう興奮して、日本の蜷川さんに『あのときにイギリスへ行けって言った意味がわかりました』と泣きながら電話をしました。蜷川さんにはズケズケとものを言ったりしましたが、本当にかわいがってもらいました。『ただのチンピラをここまで育てたのは俺だ』とよく言ってました(笑)」
立ち上げ当時は、定員100人の劇場に観客が7人しか入らなかった「渋谷ハチ公前」も、このころには舞台初日前にチケットが完売するようになっていた。
高橋は2015年以降は演出・脚本に専念し、舞台には立っていない。30作以上の台本を書いたという彼は、その経験が役者としての “旨味” につながっているという。
「毎回苦労して、逃げ出したくなりながら台本を書いているので、監督やスタッフ、台本に対する感謝の気持ちがすごくあると思います。演じる側のときも、自分を作品のパーツと考えて、芝居がどうプラスになるかを考えるようになりました」
そして、「その作業は毎回楽しいけど、苦しくもあるんですが……」と続けた。
「それでもオファーがあることは、役の大小にかかわらず自分が選ばれているということじゃないですか。アンサンブルから始めたので、役をもらって台詞も言えるなんて、最高じゃないですか。台詞を覚えるのも苦しいけど、『生きてるぜ!』という感じでめちゃめちゃ楽しい」
そんな高橋の夢のひとつがかなった。4月1日から放送が開始されたばかりのNHK 連続テレビ小説『虎に翼』に、新聞記者の竹中次郎役で出演している。
「民放各局の看板枠のドラマと大河ドラマには出演させていただいたんですが、朝ドラだけはオファーがなかったんです。朝の顔じゃないのかなと思っていたので、決まったときは『きたー!』みたいな
撮影初日は、こんなに緊張するのは何年ぶりだろうというぐらい緊張しました。上がったテンションを抑えるのに必死でしたよ。現場はとても楽しい。当時の新聞記者は自分の言葉を新聞に書いていて、すごい時代だったんだなと思います。鉛筆を舐めたりして、癖のある記者を演じたいと思っています」
夢をひとつかなえた高橋の最大の夢は「寅さん」である。
「やってみたいのは、義理人情の映画の主演。ここはブレずに目指したい。ふだんの生活も義理人情で生きようと決めているので、いつかそんな役がくると信じています」
そう笑うと、新しいジョッキのビールをグッと飲み干した。
たかはしつとむ
1978年8月23日生まれ 東京都出身 2004年、ドラマ『愛情イッポン!』(日本テレビ)でデビュー。2005年、蜷川幸雄氏演出の舞台『メディア』に出演。その後も多くの蜷川作品に出演のほか、2007年に映画『クローズZERO』、2009年に大河ドラマ『天地人』(NHK)など多方面で活躍。2007年には演劇チーム「渋谷ハチ公前」を旗揚げし、作・演出を担当。現在は、連続テレビ小説『虎に翼』(NHK)、ドラマ『白暮のクロニクル』(WOWOW)に出演中
【 福一 】
住所/東京都世田谷区三軒茶屋2-11-14
営業時間/17:00〜24:00(L.O.23:30)
定休日/月曜日
写真・野澤亘伸
ヘアメイク・石村麻由