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澤田知可子『会いたい』大ヒットで『紅白』出場の夢を実現…歌詞と自身の実体験にあった“偶然の一致”

エンタメ・アイドル 投稿日:2024.04.26 06:00FLASH編集部

 知可子は高校卒業後、埼玉県交通安全協会に就職した。浦和警察署内で、運転免許の更新手続きをおこなう業務を担当していた。

 

「このままの生活でいいのだろうか?」

 

 そんな思いを抱えながら、同僚の女性たちが集う新年会に参加した。知可子にカラオケの順番が回り、十八番である杏里の『悲しみがとまらない』を歌った。透明感のある伸びやかな歌声は、居合わせた客の心をつかみ、大きな拍手と歓声が上がった。やがて若い男性が知可子に近寄ってきた。

 

「すみません。来週の成人式で、この曲(『悲しみがとまらない』)を歌ってくれませんか? 僕らのブラスバンドの演奏で」

 

 知可子は快諾し、成人式の舞台で歌を披露した。すると今度は、ジャズミュージシャンから「ウチのバンドでボーカルをやってくれないか」と誘われ、ライブ活動を開始する。知可子は歌手になりたかったわけではなかったが、自然と歌の世界に導かれていった。

 

 22歳。知可子はOLとして働きながら、毎週火曜日、ライブハウス「PotatoHouse」(さいたま市南浦和)で歌っていた。知可子がボーカルを務めるジャズバンドは、杏里の『オリビアを聴きながら』や荒井由実の『卒業写真』などのヒットソングをレパートリーにしていたため、人気があった。

 

 ある日、常連客の女性から問われた。

 

「あなた、将来の目標はあるの?」

 

「天職を見つけて転職しようと思っています」

 

「じゃあ、あなたにとっての天職は何? 思い切って歌で人生、勝負してみなさいよ」

 

 その言葉は、知可子の胸に深く突き刺さった。知可子にはあこがれていた3歳年上の男性がいた。バスケットボール部の先輩で、高校卒業後、実業団でプレーしていた。

 

「その先輩は練習が終わったあと、私がライブで歌う『オリビアを聴きながら』を聴きたいからと、毎週、ライブハウスに来てくれていました。ライブが終わったあとは、私が彼を自宅まで車で送っていました」

 

 その日も知可子は先輩を横に乗せ、車を走らせながらあの言葉のことを伝えた。

 

「常連のお客さんから、『歌で勝負しろ』って言われたんです」

 

「おい、俺がお前のファン第1号だぞ! でも、そう言ってもらえるのは素敵なことだと思う。夢を追いかけるのは尊いことだから、一生懸命がんばれよ!」

 

 知可子は幸福感に満ちていた。尊敬する先輩に背中を押してもらえたことが、何よりうれしかった。

 

 1週間後、その先輩は交通事故で亡くなった。絶望が知可子を支配した。理不尽な運命を呪った。

 

「いつか絶対、この人のぶんまで私は輝いてやる。夢をかなえて、歌手にならなきゃいけない」

( 週刊FLASH 2024年5月7日・14日合併号 )

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