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日本の「報道写真」どのように力を持ち、どのように力を失っていったのか

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2022.03.24 11:00 最終更新日:2022.03.24 11:00

日本の「報道写真」どのように力を持ち、どのように力を失っていったのか

 

 1950年代から60年代にかけて、日本人にとっての大きな政治的な関心事と言えば、まず挙げられるのは、超大国アメリカとロシア(ソ連)の相克や、朝鮮半島、中国大陸、インドシナ半島などの日本を取り囲むアジア諸国での止むことのない戦闘とその傷跡だったことでしょう。

 

 内側に目をやるならば、未だアメリカ軍政下にあった沖縄の人々のことや、日本各地に飛び火して激しさを増す一方の学生運動、あるいは全国で問題となっていた公害の行末などがあったことでしょう。

 

 

 そういった多くの人々が関心を寄せる出来事は、新聞や雑誌、ラジオやテレビなどのマスメディアによって繰り返し報道されるのですが、それはつまり、ややもすると、ある地域、ある出来事全体のうちのある部分やある側面ばかりが強調されて、それだけしか目に入らない状況を生むものでもあるわけです。

 

 ある部分や側面に強い光があたれば、その部分は明るく鮮明になる一方で、それ以外の部分はむしろ暗い影に落ち込んで見えなくなってしまうようなものです。

 

 たとえば、東松照明が、写真集『OKINAWA 沖縄 OKINAWA』を作るきっかけとなったのも、彼がマスメディアを通して事前に抱いていた沖縄の印象と実際の印象とのギャップでした。

 

 東松のこの出来事に端的にあらわれているように、マスメディアが繰り返し流す情報とそれの総体から与えられた印象しか知らないにもかかわらず、いつの間にか私たちは、あたかもある地域やある出来事全体のことをすでに見知っているかのような錯覚に陥ってしまいがちです。

 

 しかしそれは、単に情報の作り手側だけの問題ではなくて、たとえば沖縄の米軍の様子ばかりに関心がいって、沖縄の人々の日常生活には一向に関心が向かないといった具合に、受け手側の先のような錯覚による関心の偏りが、さらにマスメディアの発信する情報をより一層偏ったものにしてしまうという、マスメディアの作り手と受け手との奇妙な共犯関係が生み出すものでもあることでしょう。

 

 写真家はカメラをたずさえて外界に向かい、そこで目にしたものを写真に収める存在です。それは何も報道写真家だけの特権ではなくて、カメラをもつ者であれば誰でもが同じ権利を享受できるもののはずです。

 

 東松はほかの報道写真家たちと同じカメラをたずさえて、ほかの報道写真家と同じ対象、すなわち沖縄を見つめるという経験をしたことによって、マスメディアが受け手に差し出す光の部分と、そのことによって受け手が見失ってしまう影の部分との両方をはっきりと自覚することができたに違いありません。

 

 そして、ますます情報があふれかえる世の中になりつつあるにもかかわらず、マスメディアの作り手と受け手との共犯関係が解消されないばかりか、むしろますます固く結びつく一方の状況があったからこそ、東松に続く荒木経惟や中平卓馬ら1960年代に活躍しはじめた写真家たちも、自らの目で世界と向き合うことを欲したのではないでしょうか。

 

■報道写真家たちが主役ではなくなる

 

 1970年代を迎える頃には、『アサヒグラフ』や『毎日グラフ』などのグラフ誌とテレビの主従関係は完全に逆転しますが、その一方で、さまざまなジャンルの専門誌やライフスタイル提案型の総合情報誌が創刊され、それとともに広告写真やファッション写真が同じ出版界において活況を呈していました。

 

 また、伝統的なグラフ誌がこれまでのような発信力を失う一方で、新潮社が1981年に『フォーカス』を創刊したのを嚆矢として、講談社の『フライデー』(1984年創刊)、光文社の『フラッシュ』(1986年創刊)などの新しい方向性を打ち出したグラフ誌が急速に読者を獲得していきました。

 

 前者が事件や事故、国際情勢といったシリアスな社会問題に誌面を割き、後者は誰それが誰それと手をつないで歩いていただとか、誰それの隠された収入はいくらだとか、政治家や芸能人の私生活にかかわる出来事、いわゆる「ゴシップ」に誌面を割いたところが対照的です。

 

 これまでの欧米の、そして日本の報道写真家たちは、公的で、常識的な正しさを追い求め、そのために時に命を賭して社会問題に向き合ってきたことでしょうし、彼らは写真界の主役だとの自負ももっていたに違いありません。

 

 ところがここにきて明らかになったことは、広告写真家やファッション写真家、週刊誌の写真家たちと比較して、報道写真家がそれらよりも社会的に意義ある存在とは、多くの一般の人たちの目には映らなくなっていたという現実です。

 

 それは見方を変えれば、すべての情報は同列で、そのうちのどれを選ぶかは情報を受け取る側が決める時代、情報を発信する側が価値を決めるのではなくて、情報を受け取る側が価値を決める時代が来たということなのかもしれません。

 

 

 以上、圓井義典氏の新刊『「現代写真」の系譜 写真家たちの肉声から辿る』(光文社新書)をもとに再構成しました。日本を代表する写真家たちは、何を模索し、何を語ってきたのか。作品と肉声を辿りながら、「現代写真」の流れを一望します。

 

●『「現代写真」の系譜』詳細はこちら

 

( SmartFLASH )

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