ライフ・マネー
イサム・ノグチの庭で知る「グローカル・アート」…土地の風、場の匂いを感じるということ
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2022.11.21 11:00 最終更新日:2022.11.21 11:00
現代アートや建築でよく使われている用語で、「サイト・スペシフィック」というのがある。字義通りで分かるが、場所(サイト)に固有(スペシフィック)の作品やそのあり方ということだ。
どこか他所でつくって美術館のようなモダンで白いニュートラルな空間に持ち運んでも、その味わいが半減する。だからその場所から動かさず、周りの風景や自然ごと味わったほうがいい、あるいはそれらをも含めて作品である、という行き方の仕事だ。
【関連記事:デジタル署名されたアート作品が75億円…NFT市場拡大に貢献した日系人に話を聞いた】
場所に合わせてつくる、というより場所や土地が生んだ産物であると考えたらいいか。建築の方面では「ゲニウス・ロキ」、土地の霊なんていうラテン語由来の言い方もある。
四国の香川高松、源平の古戦場で有名な屋島を望む丘に、日米混血で20世紀を代表する彫刻家、イサム・ノグチ(1904─1988〈明治37─昭和63〉)のアトリエと住居はあった。
60年代の後半から、コツコツと営々と20年以上かけて造営、拡張されていったものだ。広壮な石積みサークルの屋外アトリエや、宇和島の酒蔵を移築した彫刻の展示ギャラリー、裏には石垣に苔の庭がある自宅イサム家。これも丸亀の古い商家を移築したもの。
どれも巨大なスケールのものはないが、広いものは広いなりに狭い場所は狭いようにどれも優雅で素朴で美しく、せせこましさなど微塵もない。コンクリートも鉄骨もいっさい使われていない。
そこから上に大きな枯山水の石の流れと石段が続く。広場には眺望のいい石舞台があり、さらに上に大きな土饅頭の丘が広がる。頂上には墓石ともいえる真ん中で割って合わせた丸い庵治石、花崗岩がある。ノグチが最後に鑿を入れたこの石のある丘の上からは、瀬戸内と庵治港が抜群の角度で遠望される。
ゆっくり一周りすると誰もが自分の身体ごと、自然でもない、人工物でもないそのないまぜになったような無類の土地に抱かれ解き放たれる解放感に驚くだろう。
今風に古建築リノヴェーションとか至高のランドスケープ感覚などと形容もできるだろうが、その言葉をはるかに超えた実在感に満ちている。すべてはノグチという一個の人間の肉体から生まれたもの。石の彫刻の仕事を中心とした一芸術家の場所。それは現在イサム・ノグチ庭園美術館として一般公開されている。
訪れる人は、一つひとつの彫刻作品の質の高さだけではなく、何か不可思議なその場の空気や、環境全体の静謐で清新な気配に打たれる。一点の曇りもない、というのはこういうことかと驚くほどある一つの至高の美意識にすべてが貫かれている。
初めてここを訪れた時、もう40年も前になるか、私は瞠目した以上にある種の息苦しささえ覚えた。息苦しさではなく、それは実は哀しさだったかもしれない。ワザとらしいものは微塵もない、すべてごく自然で涼やかに開かれている。現在にいたるまで、美意識の横溢という意味でここを超える場を私は世界中に知らない。
だがその場所の核心には、従来のミュージアムの概念には絶対に収まらない何かが潜んでいる。そう感じてそれが何であるか私は爾来長く考え続けたが、気づいたことは至極単純なことだった。ノグチ本人が生涯持ち続けた、癒されざる孤独のことであった。
ここは無類の宇宙庭園ともいえるけれど、世界中のどこにもない、ノグチ本人のためだけの、彼だけのための慰謝の庭であった。
ロサンゼルスで生まれ、アメリカ人の母とともに詩人であった父を日本に訪ねて以来、ノグチは世界中を股にかけて仕事したグローバルな芸術家であったが、また一所不在で家族も係累も持たない、母国も祖国も古里すらない、一生天涯孤独の人であった。
終生、属する共同体や集団を持たなかったノグチにとっての慰謝は、母なる庭、身体ごと自らを包み、温め、迎え入れてくれる寛容と抱擁の庭であった。また一方、ノグチは芸術家として、徹頭徹尾彫刻家であり、しかも彼は晩年に到達したように最終的には前人未到の石による抽象彫刻に向かった。
香川高松の牟礼町、その宇宙庭園は母なる庭でもあったけれど、また峻厳で畏怖されるような、父なる彫刻の場でもあったのである。これが、グローカル、つまりその生まれた風土の匂いや風を背負っているアートの楽しみ方なのだ。
※
以上、新見隆氏の新刊『時を超える美術~「グローカル・アート」の旅~』(光文社新書)をもとに再構成しました。ローカル(地域、身近なもの)を大事にしながらグローバル(世界のありかた)につながる美術作品の味わい方とは?
●『時を超える美術』詳細はこちら
( SmartFLASH )