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公共広告でわかる「説得の技術」アナロジー/メタファー/アレゴリーを駆使せよ

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2022.11.22 11:00 最終更新日:2022.11.22 11:00

公共広告でわかる「説得の技術」アナロジー/メタファー/アレゴリーを駆使せよ

カンヌライオンズ2022(写真:ロイター/アフロ)

 

 1991年と1992年はテレビCM部門、そしてインターネット広告の黎明期の1998年は新設されたサイバー部門と、都合3度、カンヌ国際広告祭(現・カンヌライオンズ)に国際審査員として参加した。

 

 そこで学んだことは多々あるが、最も刺激を受けたことの一つに「公共広告」があった。まず驚かされたのは、世界から集められた公共広告のボリュームとその質の高さ。海の向こうでは公共広告の分野が、広告クリエイターの仕事の重要な側面を担っているということをいやというほど知らされることになった。

 

 

 僕が審査員を務めた1991年は、公共広告は203本、チャリティ広告は151本がエントリーされていた。その中に日本の広告がどのくらい含まれていたかというと、実はごくわずかだ。商品広告や企業広告では、審査員側からするとややうんざりするほどすごい本数(3000作品余り)がエントリーされているのに、である。

 

 同じ年、世界の公共広告の中でもとりわけすごい衝撃を受けたのは、前年にブラジルで制作された熱帯雨林の問題をテーマにしたテレビCMだ。

 

 その映像は、深い森の中に一人佇むインディオの少女から始まる。小鳥たちのさえずりに抱かれ、幸福そうな音楽が流れている。そこで突然、その少女の黒く長い髪がバリカンで乱暴に刈られ始める。

 

 そのバリカンの音はやがて、森の大樹を切り倒すチェーンソーの音に変わっていく。大樹が根元から裂かれ、地面に叩きつけられる音が辺りに轟きわたる。

 

 ラストに映し出される、髪を刈られた少女の無惨な姿、悲しそうな目……。画面の最後に「熱帯雨林を守ろう!」というシンプルなタイトルが挿入される──。

 

 初めてこれを見せられたとき、作り手として〈こんなの作りたいなぁ〉と強く憧れた。不謹慎かもしれないが、世界の公共広告はなんてかっこよく、かくも官能的なんだろう、と思ったのだ。

 

 世界のクリエイターが競って公共広告を作るのは、まずは社会的意識が高いというのがもちろんあるが、商品広告と違ってクライアントからの制約がなく、比較的に自由に制作できるというのも大きい。

 

 仮に大きな賞を取れば、その広告代理店やクリエイティブ・ハウスは世界規模で名誉を勝ち取れるからだ。だから絶好の機会と捉え、本気を出してエントリーしてくる。

 

 だが、一人のクリエイターとして、それ以上に重要なことにすぐに気づかされた。それは、公共広告こそ突出した広告表現の宝庫であり、こんなにチャレンジブルで面白い世界は他にない、ということだ。世界と伍した公共広告を作りたい──僕は心に決めた。

 

■世界に届くための視覚言語(ビジュアルランゲージ)

 

 カンヌ国際広告祭が他の賞と異なる大きな特徴は、世界から招聘された審査委員30名余りが、開催期間の5日間、同じホテルで寝食を共にしながら、早朝から夕暮れまで真っ暗な試写室で、その年に集められた3000本余りの作品を一気に審査することだ。

 

 これはかなりタフな作業だが、大量の作品を短時間で見ることで、世界の広告コミュニケーション・シーンで今何が起きているのか、ということを窺い知ることができる。僕にとっては絶好の学習機会でもあった。

 

 そこで僕が学んだ一番のことは、われわれに決定的に欠けているのは視覚言語(ノン・バーバルコミュニケーションともいう)である、ということだ。

 

 よくいわれることだが、日本は2つの壁に長らく守られてきた。一つは日本列島の周囲の海という壁、もう一つは日本語というのが外国人にとってはかなり手強い言語の壁である。その結果、外国人とのコミュニケーションは今でもけして得意ではない。

 

 国際舞台において、言語や文化を超え己の意思を伝えるためには、絵をまるで言葉のように扱う──ビジュアルランゲージの習得が欠かせないことを胸に収め、初の国際審査委員という大役を済ませて帰国の途についた。

 

 帰国後、真っ先に向かったのは公共広告機構(AC)だった。そこで、海の向こう側から見た日本の広告の姿と現在地を報告し、日本の広告界のためにも世界レベルの公共広告を作るべきだ! と、僕にしてはめずらしく口角泡を飛ばしながら一席ぶった。

 

 僕のあまりの形相に驚愕したのか、はたまた同情を買ったのか、彼らはなんとすぐに僕のリクエストに応えてくれた。テーマは「家庭排水」。海を汚しているのは工業排水だけではない、実は家庭からの排水がそれと同じくらい汚している、この事実を世にアナウンスしたい、という仕事だった。

 

■アナロジー(類比)とメタファー(暗喩)とアレゴリー(寓話)

 

 企画の前提は、まず言葉に頼らないこと。つまりカンヌで学習した「視覚言語」を駆使したものであること。そしてもう一つ大切なのは、海外の人たちが理解しやすい文脈(コンテキスト)に乗せたものであること。

 

 広告の仕事の一つに「説得」がある。人は見事かつきれいに説得されると気持ち良さを感じる。いわゆる「腹落ちした」という感覚だ。

 

 欧米の傑作広告たちを俯瞰、反芻し、さらに因数分解を試みると、必ずといっていいほど「アナロジー(類比)」「メタファー(暗喩)」「アレゴリー(寓話)」の3つを巧みに駆使して説得にかかっていることがわかる。

 

 後に文筆家の佐藤優が「この3要素は海外エリートが必ず会得している教養だ」と指摘しているのを読んだことがある。さすが国際的な視野の持ち主だ。

 

 僕のお手本は、前述したブラジルの公共広告──少女と熱帯雨林のCMである。このCMを先の3つの要素に分解すると、以下のようになる。

 

 すなわち、少女の長い髪と豊かな森というアナロジー、その髪を乱暴に斬るバリカンとチェーンソーのけたたましい爆音というメタファー、森の奥で幸せに暮らすインディオの少女とやがて破壊されていく熱帯雨林というアレゴリーである。

 

 これらの映像をつなぎ合わせると、一切ナレーション(説明のための言葉)がいらない、視覚言語だけで世界中の聴者たちを唸らせる特上なCMが誕生するというわけだ。

 

 これを今回の命題である「家庭排水」に置き換えてみよう。

 

 残り物の濃厚なソースがシンクから流される映像と蒼く豊かな海、家庭の小さな排水口と汚れゆく大海原、そして海の精である可憐な人魚姫と濃厚なソースを浴びた人魚姫が悲しむ姿、コピーは「台所が原因で海を汚すなら、台所から海をきれいにすることだってできます」という明快なレトリック。

 

 できあがりを見て、制作チームの皆で思わず微笑んでしまった。ナニジンが作ったのかわからないCMができあがったのだ。言語や文化を超えた無国籍CM、まさに狙い通りの作品の完成である。

 

 翌1992年、この作品をひっさげて国際審査委員として再度カンヌに参加した。大きな賞には届かなかったものの、公共広告という激戦のカテゴリーで入賞を果たし、カンヌへのささやかな意趣返し(リベンジ)ができた。何よりも公共広告機構の皆さんへの恩返しを果たすことができ、ホッとして日本への帰路についたのだった。

 

 

 以上、杉山恒太郎氏の新刊『広告の仕事~広告と社会、希望について~』(光文社新書)をもとに再構成しました。広告から “公告” へ。日本の広告界のレジェンドが、自らのクリエイティブを振り返りながら、広告の未来を熱く語ります。

 

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