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農作物を食い荒らす「バッタ大発生」中東・アフリカを襲った「蝗害」なぜ起きたのか
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2024.05.02 11:00 最終更新日:2024.05.02 11:00
2018年、アラビア半島の人里離れた砂漠の奥地に緑が芽生えた。同年5月と10月に、サイクロンがもたらした大雨によるものだった。乾いた大地を潤す恵みの雨は、人知れず、ほそぼそと生きながらえていたサバクトビバッタの眠れる力を叩き起こした。
成虫はエサが乏しく過酷な環境を生き延びる能力をいくつも秘め、過酷な期間をやり過ごす。緑を口にするや否や、すぐさま性成熟を始め、湿った大地に卵を産み落としていく。
メス成虫は、必ず湿った地中に産卵する。適した産卵場に辿り着けないと地表に産み落とすが、それは台無しとなる。もとより、地中の湿り気は、子のエサとなる緑が長く持つかどうかの一つの指標となり、乾いた大地に産卵したところで、子が生存できる可能性は万に一つもない。
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人類がバッタと科学的に向き合い始めてから、たかが100年ちょっとしか経っていないが、大干ばつの後に大雨が降ると歴史的な大発生が起きてきた。2018年のケースはまさにその条件に一致していた。
通常の自然環境であれば、多くの幼虫が成虫になる前に天敵に捕食され、命を落とす。わずかな個体だけが成虫になり、自由に空を羽ばたける翅を手に入れる。
しかし、数年にわたる干ばつにより、おそらく広範囲にわたって天敵の類は死滅していたのだろう、バッタはその高い機動力を活かし、いち早く、突如現れた緑の楽園に辿り着き、まさに「無敵」のありえない環境を謳歌した。
本来ならば多数の仲間が幼虫期に命を落とすところ、ほとんどが成虫になる。メス成虫は2週間ほどかけて性成熟すると、おそらくは1週間おきに100個ほどの卵を生産し、生涯に複数回産卵する。
生息地の温度にもよるが、好適な環境下では、1世代は最短約2カ月でまわる。天敵不在で極上のエサに恵まれた環境で繁殖と発育を繰り返すと、その増殖率はもはや爆発と形容できるほど膨れ上がる。
サバクトビバッタは、季節風に乗って移動する習性がある。人知れず数を増やしたバッタは群れを形成しながら、サウジアラビアを経由し、中東方面に侵入。その先でも増殖と移動を繰り返しながら、インド、パキスタン方面にまで到達した。
大群が侵入しても、環境条件が不適であれば、バッタの群れは別の場所に飛び去るか、死滅する。しかし今回は、侵入先でも大雨によってもたらされた繁殖・発育に好適な条件が揃っていたことが災いし、数を増やした。
同時期、別方面に移動を始めた群れもいた。2019年の冬にかけて、アラビア半島の群れは紅海を越え、東アフリカ方面、通称「アフリカの角」に侵入した。
同年10月にソマリア北部やエチオピアで洪水が発生、12月にはサイクロンが直撃していたことが災いした。例年、この時期はバッタの餌となる植物が枯れているが、大雨で植物は枯れず、バッタの増殖を加速させる状況が誕生していた。
世界がこの異変に注目し始め、翌2020年初頭、世界中のメディアが一斉に目を向けた。ソマリアとエチオピアでは25年ぶり、ケニアでは70年ぶりのサバクトビバッタの大襲来となった。
バッタ研究者として著名なウバロフ卿が設立した「対バッタ研究所」のスタッフたちが、今回の事態に酷似した1967~69年に活動していたことなど、誰が覚えていただろうか。
当時、確かにバッタによる農業被害は生じたが、それが研究を大きく発展させ、防除活動の重要性を国際的に広く訴える好機となり、まさに「怪我の功名」となった。
飛行機を用いた農薬の空中散布など、実用的な防除手段が開発されたり、国際連合食糧農業機関(FAO)主導の国際的な防除キャンペーンが行われたりし、当時の人々の脳裏に深く刻まれたはずだった。
しかし、数十年に及ぶバッタの沈黙は、人類の注意を振り払うのに十分な時間であった。現地の研究態勢や防除システムは弱体化し、おそらく、まともな指揮を執れた現地スタッフはいなかったであろう。ほぼ無警戒のエリアにバッタの大群が侵入して初動が遅れたことも、バッタの増殖を許してしまった一因である。
内戦が続くエリアを多数含む当地は、よりによってバッタの繁殖地として絶好のエリアであった。治安の悪化はあらゆる防除活動を許さない。防除部隊は、車両にトラブルが発生した場合を考慮し2台以上で移動するのが通例だが、テロリストたちの前にはそのような備えは何の意味も持たない。バッタ防除部隊がテロリストに襲われて車ごと全ての装備を奪われ、見知らぬ地に放り出された事態も報告されている。
テロリストらの非人道的な振る舞いは、彼らにとっては正義の活動なのだろう。だが、愚かなる人間の手によって防除活動は行く手を阻まれ、バッタのさらなる増殖の手助けをした。
東アフリカの逆側、西アフリカでは、2003~05年に起きた歴史的なサバクトビバッタの大発生によって、甚大な被害を受けた。しかし、そのことはバッタに対する注意を高め、防除体制の確立に大きく寄与した。
それ以降、当地では警戒を解くことなく、西アフリカ10カ国からなるCLCPRO(西アフリカ対サバクトビバッタ委員会)の指揮の下、国際的な連携に基づいた防除体制を着実に強化し、2013年の大発生の芽を未然に摘むことに成功していた。
東アフリカでのバッタ大発生問題を統括するFAOは、西アフリカ諸国に配備されたバッタ防除センターのエキスパートたちを急遽、東アフリカの被害地域に派遣した。
すでに退職していたモロッコ国立サバクトビバッタ防除センター前所長のサイドゥも、エチオピアへ派遣され、技術指導や方針策定に従事した。フランスCIRADのバッタ研究チームを牽引していたミッシェルも、ケニアに飛んだ。
FAOは、この未曽有の危機を乗り越えるため、世界中から寄付金を募った。各国が速やかに援助を決め、日本も約13億円もの支援を行い、総額200億円以上もの資金が集まった。
しかし、新型コロナウイルス感染症、通称「コロナ」が世界に蔓延し始めたことで、バッタ防除の要である物流と人的交流は無残にも遮断された。「蝗害」は収まることはなかった――。
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以上、前野ウルド浩太郎氏の新刊『バッタを倒すぜ アフリカで』(光文社新書)をもとに再構成しました。食料危機の原因となるバッタの大発生を防ぐ可能性とは?
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