写真・AC
1980年代になると、日本はアメリカに次ぐ経済大国となり、ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれるまでになりました。しかし、それは同時にアメリカによる “日本たたき” が始まることを意味していました。
日本企業の強みは「株式持合い」「メインバンク制」「終身雇用」などにあると、これまで指摘されてきました。グローバル化が進み、外国の資本が日本の市場に参入していくためには、「鉄の壁」となっているこれらの制度をつぶしていくことが、アメリカにとっては必要でした。では、世界でグローバル化が進む中で、アメリカはこれらをどのようにつぶしていったのでしょうか。
まずは、「株式持合い」です。日本の上場企業の株式所有は、主に金融機関と系列・関連企業同士による「株式持合い」が多くを占めていました。
この制度の下では、自社と関連のある企業群以外の他の企業(特に外国資本)による経営への介入を排除できます。そのため、株主配当を厚くする必要もなく、長期的な視点で経営投資できるという強みがありました。利益は主に人材育成や設備投資などに向ければいいわけです。
しかし、1980年代から始まったグローバル化の中で、日本の優位性はどんどん低下していきました。特に、中国が世界の市場に参入するようになると、日本の人件費に比べて格段に安い人件費の中国に、日本の企業は自分の工場などの生産設備を移していきます。そのため、日本国内は空洞化現象が見られるようになります。
次に、「株式持合い」の主たる役割を担っていた「メインバンク制」です。日本の企業が長期的な投資を行う際に、主たる取引を行う金融機関を1つ持っており、この金融機関は企業がたとえ一時的な経営難に陥っても、金融面で支えるという補完機能を持っていました。そのため、企業は四半期や1〜2年という短期的な視点を超えて、長期的な投資が可能となっていたわけです。
このことは、雇用にも影響を与えました。新卒で雇用した従業員は、退職するまで雇用するという「終身雇用」を可能としたのです。終身雇用は従業員の企業への忠誠心を高め、日本の企業風土の強みとして取り上げられてきました。
こうした日本の強みを支える仕組みが、グローバル化の中で崩壊していきます。1990年代まで、日本企業の株式の主たる担い手であった金融機関は、2000年代になると長引く日本の株価の低迷の中、日本の株式を手放していきます。
実際、1985年から2024年までの約40年間、金融機関や外国人法人等などの投資部門別持ち株比率の推移を見ると、1980年代から1990年代では、株式保有の割合が最も大きいのは金融機関で、次に事業法人等でした。この時期は、金融機関による「メインバンク」制度と事業法人による株式の「持合い」制度がうまく機能していた時期です。
しかしながら、2000年代以降は、次第に金融機関や事業法人等の持ち株比率が低下していくのです。代わりに所有割合を増やしていったのが、外国人投資家(「外国法人等」を含めて「外国人投資家」と呼ぶ)でした。
外国人投資家による日本株保有の割合が上昇するのは、2000年代よりも前の1990年代からです。1990年代から保有割合は堅調に上昇しています。つまり、外国人投資家は1990年のバブル崩壊以降、着実に「日本買い」を進めていったのです。彼らは金融機関や事業法人が「持合い」の株式を売却するたびに買い増ししていきました。2024年時点の持ち株の割合をみると、1位が外国人投資家(外国法人等)で32.4%。金融機関は28.3%です。
■アメリカの年次改革要望書と法改正
このように、1990年代以降、外国人投資家による日本株保有の割合が上昇していきましたが、その背景には1989年に始まった日米構造協議があります。アメリカは年次改革要望書を通して日本を構造的に改革する法律の制定を求めていきました。
その最たるものが、株主の利益を最大化する改革です。その結果、1997年、日本にもストックオプション制度(企業が従業員に、自社株をあらかじめ定めた価格で購入する権利を付与する制度)が導入されました。その後、2002年に社外取締役制度が導入され、その翌年の2003年には四半期決算が義務化されました。これらの改革によって、日本企業の経営スタイルは短期主義・利益主義へと変化していきます。
さらに、2001年に銀行等株式保有制限法が制定されたことで、銀行による保有株式の総額を自己資本の範囲内に制限する規制が設けられました。これによって、銀行はリスク管理と財務健全化のため、保有していた事業会社の株式を大量に売却せざるを得なくなります。こうして、長年の安定株主であった国内金融機関の持ち株比率が低下したわけです。
また、労働市場でも大きな改革が行われていきました。その最たるものが、1999年の労働者派遣法の改正です。この法律は、労働者派遣が可能な業務のみを明記する「ポジティブリスト方式」から、労働者派遣が禁止された業務を明記する「ネガティブリスト方式」へ転換するというものです。
原則として、禁止された業務を除いて派遣を行うことができるようになり、労働者を派遣できる業務が大きく広がり、2004年には製造業に対しても人材派遣が自由化されました。
人材派遣が幅広い業種で可能となる法案の導入とともに、ここで大きな影響を与えたのが、消費税の増税でした。それが、1997年4月の消費税率3%から5%への引き上げです。
この消費税増税が、正社員から派遣労働者への雇用切り替えを促す一因となったと考えられます。なぜなら、従業員を非正規化すれば業務委託費となり、「課税仕入」に分類されます。消費税の対象ではなくなるので、企業の実質的な税負担(消費税の納税額)を軽減させる効果があるのです。
こうして、日本の雇用は正規雇用中心から非正規雇用中心へと切り替わっていきました。日本の実質賃金は、1997年に消費税が5%へ引き上げられて以降、坂道を転がるように低下していったのです。
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以上、森剛志氏の新刊『消費税の正体 「0%」は可能か』(光文社新書)をもとに再構成しました。消費税増税が招いた構造的な歪みを冷静に紐解き、日本経済を再生させるための具体的なロードマップを、緻密なシミュレーションとともに提示します。
■『消費税の正体』詳細はこちら
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