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【目指せ不思議スポット】武蔵が籠もった古代の洞窟「霊巌洞」

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.11.11 06:00 最終更新日:2018.11.11 06:00

【目指せ不思議スポット】武蔵が籠もった古代の洞窟「霊巌洞」

巌流島

 

 これまで数々の映像作品や小説、コミックなどの題材となった江戸時代の剣豪、宮本武蔵。

 

 180センチを超える当時としては図抜けた体躯と、ひと振りで竹刀が破損する怪力の持ち主であったとされる武蔵は、そのパワーを生かし、二刀を用いる「二天一流」を創始したことでも知られている。

 

 

 弱冠13歳で初めての決闘を経験し、29歳になるまでおよそ60度の勝負に臨み、そのすべてに勝利したと伝えられる武蔵。その無類の強さの秘訣を、彼は全5巻の兵法書『五輪書』にまとめている。

 

『五輪書』は原本こそ焼失してしまったそうだが、幾度の写本を経て今日まで現存している。その『五輪書』を執筆した場所が、熊本市内に残る「霊巌洞」だ。

 

霊厳洞内部

 

 霊巌洞はここに雲巌禅寺が建立する以前から、修験の場として使われていた洞窟だ。

 

 武蔵が熊本へやってきたのは、1640年のこと。これは肥後の細川忠利に招かれ、細川藩の軍事顧問として千葉城に居住することになったためで、武蔵はこの際、兵法35箇条の献上を命じられている。これを骨子に新たに『五輪書』を書き残すため、武蔵は自ら志願してこの霊巌洞に籠もったのだ。

 

 伝承によれば、1643年からここで2年にわたって筆を執り、会得した剣禅一致の境地を記したという。

 

『五輪書』は地・水・火・風・空の5巻からなる大作だが、それまでに存在した仏法や軍法書の先例をいっさい借りることなく、あくまで武蔵自身のノウハウで構成されているのが特徴だ。

 

 ただし、今日に残る『五輪書』は、複数残された写本の間でも相違点が多く、武蔵の時代にはそぐわない記述が散見されることから、武蔵の死後に弟子が著したものではないかという疑義もある。

 

 そもそも、武蔵の生涯は謎に包まれている。明確な物証は非常に乏しく、生誕地については現状のすべての説が誤りであるとする研究者もいるほど。唯一といっていい確実な記録は墓誌であり、1645年没という事実のみが特定できる状況だ。

 

 熊本市内の関連スポットは比較的信憑性が高いとされるものの、武蔵に関する遺構や遺跡の数々は、大半が19世紀以降に後付で造られたもの。曖昧な伝承を元に遺跡が新造されることで、真実がいっそう深い薮の中に追い込まれてしまうのは、人気が仇となったというほかない。

 

 霊巌洞はそうした謎をまるごと内包しているのだ。

 

 

 以上、友清哲氏の新刊『消えた日本史の謎』(知恵の森文庫)から再構成しました。謎の構造物、おかしな物体、奇妙な伝承、未解明のパワースポット…不思議をめぐる旅の記録です。

 

●『消えた日本史の謎』詳細はこちら

https://honsuki.jp/stand/5050.html

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