1956年3月、駐留米軍の軍属として初来日したJ・ウォーリー・ヒギンズ氏は、日本人女性と結婚後、国鉄の国際部の仕事を手伝うようになった。
鉄道好きだったヒギンズ氏は、以後、趣味と実益を兼ねて日本中を旅し、当時貴重だったカラーフィルムで、鉄道写真を中心とした日本の風景を撮り続けた。その貴重な写真を、順次公開していく。
※

偕楽園 1960年5月29日
1964年の東京オリンピックを前に、日本の街の風景は大きく変わった。変化したのは、決して東京だけではなかった。写真は、偕楽園より千波湖、水戸方面を望んだもの。手前の蒸気機関車は、水戸駅を出発して偕楽園付近を通過するところだ。

水戸駅付近 1962年4月21日
水戸駅前停留所に停まる路面電車に「平和原子力羊羹」の広告が。当時は、原子力の平和利用に大きな期待が集まっていたのだ。